富士山麓から、「赤富士」 の写メが届きました。
本日の夕方の富士山はこんな風にピンク色だったそうです。
(先日の夕日の富士山と同じ場所からの眺めです。)
実を言うと私も「赤富士」なるものを見たことがないのです。同じ「静岡」と言っても、静岡市と富士宮市とでは車で1時間半ほどの距離があり、富士山の見え方も全くちがうのですねー。)
富士山麓から、「赤富士」 の写メが届きました。
本日の夕方の富士山はこんな風にピンク色だったそうです。
(先日の夕日の富士山と同じ場所からの眺めです。)
実を言うと私も「赤富士」なるものを見たことがないのです。同じ「静岡」と言っても、静岡市と富士宮市とでは車で1時間半ほどの距離があり、富士山の見え方も全くちがうのですねー。)
今、大ぶりの紫苑(シオン)が数株、薄紫色の野菊を束ねた様な格好で咲いていて、
家の玄関沿いの塀をにぎわしています。
紫苑の花言葉は あの人(君)のことを忘れない
紫苑は「実家の庭にもよく咲いていた花だし、地味で特に美しいというわけでもないし・・・」、そんな思いもあって、今まで特別に思い入れをしたことがありませんでした。ところが、植えた覚えもないのに、いつの間にか家の庭のあちこちで花を咲かせています。「いったい、いつ頃、誰が 植えたのかしら・・・」と、ちょっと不思議でもあったのです。
で、「紫苑」について調べてみると、この花は、平安時代から多くの人々に親しまれた日本的な花の一つであること、藤袴や女郎花のように「源氏物語」や「枕草子」や「今昔物語」にも登場していること、花言葉でもわかるように、昔からかなり思い入れの深い花であったことがわかったのです。
「兄弟二人 萱草(カンゾウ)・紫苑(シオン)を植うる話」
昔、男子二人ありけるが、その父失せにけれど、その二人の子供 父を恋い悲しむ事、年をふれども忘るることなかりき。二人はずっと父親の墓参りを欠かさなかったが、年月を重ねるうちに、兄の方は自分の仕事が忙しく、なかなか墓参りにもいけなくなった。一方、弟の方はずっと父を忘れることができず、変わることなく墓参りを続け、父と交わりを続けた。兄は「萱草」を植えれば思いを断ち切り忘れることができると、庭に「萱草」を植えた。弟は「紫苑」こそは心に思う人を忘れることがないのだ、と「紫苑」を墓に植えた、という。(今昔物語)
萱草の花
そんな今昔物語の逸話から、こんな言葉が生まれたのだとか。
嬉しきことあらん人は紫苑を植えてみるべし(紫苑は長く咲き続ける花)
憂いあらん人は萱草を植えてみるべし (萱草は一日花で萎れてしまう花)
家の庭には、今、「紫苑」と「萱草」が同時に咲いています。それらが、いつ頃からここにあったのか、誰が植えたのか、私は知りません。もしかしたら、「あなたのことは忘れない」と誰かが紫苑を植え、「悲しいことは忘れてしまおう」と誰かが萱草を植えたのかも、・・しれません。そういえば、赤い曼殊沙華の花も、、誰が植えたというわけでもないのに、この季節になると真っ赤に咲いて「彼岸」を知らせてくれます。
自然に込めた 古人の想いは 、今の私たちにも、何気なく 伝わるものなんだ、と思ったのでした。
昨夜は台風が東海地方に接近するとの報道に、電池の切れた懐中電灯を買い替えたりして備えたのですが、夜半に激しい風や雨の音はしたものの、これといった被害もなく、台風は無事に通り過ぎて行きました。
朝、舞い落ちた枯葉を掃きながら、ふと庭の草むらを見ると、一羽の小鳥が死んでいます。
何処にも傷らしい物がない所を見ると、昨夜の嵐で吹き飛ばされて、ガラス窓か何かにぶっつかって死んでしまったのでしょう。羽根の色のきれいな小鳥です。調べてみると、どうやらホオジロのようです。昨日までは、美しい声で鳴いていたに違いありません。
思いがけない災害で命を落とすのは、どうやら生きているものの性なのでしょう。
春ごとに花のさかりはありなめどあい見むことは命なりけり (古今和歌集・詠み人知らず)
草むらに 鳥の亡き骸 うずくまり 秋七草の 静かに咲けり
「モネの絵みたいな夕日でした」に、こんな写真が届きました。
同じ日の夕方、富士山も、こんなにきれいだったよ!
(娘からのメールです)
昨日の夕方(6時頃)、自転車でお使いに行った帰り道、ふと振り返ると、空が、あかね色と群青色と黄ばく色と墨色とを重ねたような、驚くべき色あいを呈していました。秋の夕暮れのひととき、誰かが空の上から魔法の杖を振るったような空です。
秋になって、太陽の光の角度が長くなると、光が大気を通過する距離も長くなって、その時に不思議な色のシフォニーが生まれるのだそうです。 しばらく、見事な自然のショウに見惚れていましたが、なんだかこんな色の空を見たような気がして、ふと、モネの「夕日」の絵を思い出しました。
モネが1872年にフランスのとある港町で描いたとされるこの絵は、後に「印象」と名づけられて印象派の先駆けとなった作品ですが、最初は、いつ頃どこで描かれたものかも分からず、 題名も「日の出」という説と「日の入」という説とがあったそうです。が、まさしく色のシンフォニーといえそうな作品です。 (後に、美術館が学術的な調査をした結果、太陽の位置、潮位、天候などをもとに1872年11月13日7時35分頃の風景を描いた可能性が高い、と発表されたとのこと。写真共にウイキペキアより)
もしかすると、ヨーロッパとアジアでは、夕日の色も、日の出の色も、多少は違うのかもしれないけれど、大自然の色の魔術師が生み出すこの神秘的な太陽の光りの魔術 に魅せられるのは、洋の東西を問ず同じなのだと思ったのでした。
夏の疲れが出たのでしょう、風邪をこじらせてうだうだと暮らしている内に、もう九月も十日を過ぎてしまいました。あっという間に季節は移り過ぎて「秋」です。 遅ればせながら「小さな秋」を堪能したいと思います。
庭一面を、かわいい女の子がはしゃいでいるみたいに、ピンク色に彩っているのは、秋海裳です。見たところ色も形もとても華奢にみえますが、どうしてどうして、いたって丈夫でほっておいてもどんどん成長します。あちこち跳ね回る元気なおてんば娘のようなたくましさです。
実はこの秋海裳、異花同株で、桜色の花の真ん中にある黄色い球状のものが雄蕊(ゆうずい・オシベ)で、四枚の花弁のうち左右が花弁で上下が萼です。雌の花は、下方に垂れ下がったような姿で咲いてます。
美女立テリ秋海棠如キカナ 子規
子規は、秋海棠を「美女」に見立ててますが、
私には、どうみても「美女」というよりまだ無邪気な「少女」に見えます。
闘いの夏終りけり秋海棠
夜なべ仕事をしていると、あちこちの草むらから虫の声が聞こえてきます。
35度を超える暑さに耐えて、暑い暑いアトリエで悪戦苦闘を繰り返していると思っていたのに、今夜の風など、もう秋です。けたたましいほどの蝉の声が、ツクツクボウシに代わり、山のほうからカナカナとヒグラシの声が聞こえて、自然は一斉に秋の準備を始めたようです。
それにしても、自然の営みのなんと律儀なことか! ため息がでます。
十分に時間があると思っていた夏休みだったのに、予定の半分も仕事が終わらない内に終わってしまった感じ、秋の展覧会に向けての作品づくりも、そろそろタイムリミットです。
夕方、庭のノカンゾウの花を撮ろうとしたら、カメラのライトがピカっと光って、こんな写真になりました。日暮れが早くなっているのですね。
なんとなく物悲しい夏のおわりです。