先回のブログからⅠカ月半が過ぎてしまいました。その間「いったい何をしていたのかしら・・?」 自問しながらのブログです。
私のアトリエは、古い家を改造したもので隙間だらけなので、クーラーが付いていません。酷暑の8月は熱中症になりそうな暑さです。で、陶芸教室も夏休み・・。その夏の、暑いアトリエの、早朝と夕方と夜の涼しい時間帯、それが私の作品づくりの時間でした。暑い日中はTVでオリンピックを観ながらお昼寝、涼しくなってからが,秋の展覧会に向けてのオブジェづくりです。
The Vanishing StepweLLs of India (滅びゆくインドの階段井戸)という美しい写真集を手に入れたのは、ちょうど夏休みの前の7月下旬のことでした。シカゴのジャーナリスト・ビクトリアさんが、5年をかけて西インドの階段井戸を取材したという写真集です。下の写真は The Vanishing Stepwells of India の中の UJALA BAOLI という写真です。
写真集 The Vanising Stepwells of India から転載
そこには、見たこともない神秘的で美しいインドの階段状の井戸の姿がありました。長い年月の中で風化し、今まさに滅びようとしている美しい階段井戸。ちょうど、オブジェの構想を練っていたところだったので、この階段井戸を何とか今回の作品の中に生かせないものか、と考えたのです。
階段井戸というのは、パキスタンから西インドにかけて、今でも見かけられる貯水池のことです。雨量の少ないこの地方では水を得るために地下水を汲み上げることが必要でした。人々は、安定した水を得るために地下深くまで井戸を掘りました。乾季には地下30メートルだった井戸の水位が、モンスーンの時期になると上昇して階段が100段以上も水没してしまう、そんな繰り返しの中で、地下7階程の壁面を幾何学模様に埋め尽くす、美しい階段が生まれたのです。
井戸の周囲を囲むように作られた階段、その幾重にも分岐しながら降っていく階段の先に水が見えます。こうした階段井戸は、紀元600年頃から作られ始め、1600年頃まで掘り続けられました。そうした階段井戸が、現在でも西インド地方には60近く残されています。
その場所は、井戸であるだけでなく、人々の集いの場所であり、非常時の非難場所であり、神殿であり、僧院でもありました。
最初の写真 UJALA BAOLI の説明文の中に次のような一節がありました。「15世紀から16世紀にかけては、王朝や王国間に激しい争いがありました、息子が父を殺したり、友人が友人を毒殺したり、最愛の妃が敵の捕虜になったりと。このような争いや対立の中で、住民が何年もの間包囲されたりしたことを考えると、水へのアクセスがどんなに重要だったかがよく判ります」。階段井戸は水資源のためだけでなく、王朝を守る重要な砦でもあったのです。機能的であるだけでなく、何処か重々しく神秘的な美しさを秘めているのは、そういった歴史の積み重ねがあるからなのでしょう。パタンにある「女王の階段井戸」は2014年に世界遺産に登録されました。
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ながながと階段井戸のことを書きましたが、実は、階段井戸が問題なのではなく、「階段井戸に見る滅びの美学」をどのように作品の中に表現するか、それが私の問題でした。井戸も階段も素材としては面白いのですが、それを具体的に作品にするにはどうすればよいのか、それが解らなくて悪戦苦闘を繰り返していたのでした。
結局、何とかオブジェらしいものを完成させたのは8月の中旬です。でも、それとて満足のいくものではなく、もう一回やり直そう・・、と二個目に挑戦したのが8月の中旬のこと。オリンピックにもコロナ緊急事態宣言にもパラリンピックにも惑わされず、ひたすら作陶に励んだわたしの8月でした。