だらだらと枝葉末節についてばかり書きましたが、
本来の目的、ボランテアについて少し記しておきたいと思います。
修道院の宿舎に荷物を運んでくれる寄宿生たち
写真は、私たちが泊まった修道院の一角にある宿舎。今回の旅行は「セブの少女たちに布地を送る会」を主催する河村恵子さんの企画「カンボジア・ミャンマー・スタデイツアー」に参加したものです。ツアーといっても参加者は川村さん夫妻と私を含めて3人だけの、ささやかなツアーです。
主催者の河村さんは、サレジオ会に所属する熱心ななクリスチャンで、ボランティア暦30年の女性です。そんな関係で、私たちは「サレジオ会」の修道院に受け入れて頂いたのです。(キリスト教にもボランテァにも関係のない私は、いわば好奇心だけの参加でしたが、それでも大きなサムソナイトに古着をいっぱいに詰めて、自分の持ち物は極力控て、ボランティアの覚悟で出かけたのです)。
日本の高校生からの古い上履のお土産。古くてもうれしそう。
ここはカンボジアの寄宿舎の中、みんな集まってミーティング。子供たちは、驚くほど素直で明るい。みんなニコニコしていて愛らしい。修道院は、家族のように私たちを迎えてくれた。河村さんたちの30年間におよぶ ボランティアの賜物である。
カンボジアは、長い戦争の後も、ポルポト政権の支配下にあって、数々の悲惨な体験を重ねてきました。100 万人もの人が殺され、人口は激減、平均年齢 20数歳と言う若年層ピラミッド型の国になりました。教育制度は廃止され、さらに教師を初めとするあらゆる知識階級の人々が無残に殺害されたため、字を読める人が少なく、教師になる人材が極端に減ってしまいました。その上、貧しさのために小学校教育を最後まで受けられず、売られたり、働きに出されたリする子供も少なくありません。小学校を卒業できる子供は全体の52%に過ぎないのです。
It is enough that you are young for me to love you .
ここの学校の校舎の壁に書かれていた言葉。
私はここで初めてサレジオ会の創始者 ドン・ボスコという人のことを知りました。彼は、神父であると共に教育者でした。1841年、彼はトリノで「オラトリオ」という新しい教育事業を始めます。それは、若者たちのための運動場のある夜間学校で、仲間作りと祈りの場でもありました。やがて、それは職業学校になり、寄宿舎などを併設する教育の場になりました。ドン・ボスコは若者を大切にしました。「君が若者だというだけで大切に思う」「本来人間に備わっている良心,神から授かった種を健全に育てる事」それこそが教育と。ドン・ボスコのそうした理念は、その後もずっと「サレジオ会」によって受け継がれていきます。
それは今、カンボジアの地でも実践されていました。
荒れてスラム化したプノンペンの郊外、近くにはバラックが立ち並ぶ。
その地に建てられた校舎。シスターたちはここで
地域の子供たちに勉強の補修をし、大人の相談事にも付き合う 。
戦後、長い苦難の道を歩んできた ベトナムと・カンボジア・ミャンマー。この地で、貧しい若者たちに教育の種をまく人たち。河村さんたちが続けてきたのも、そうした貧しい子供たちへの支援です。就学支援を受けられた子は、修道院の寄宿舎で生活しながら教育を受けられるのです。それは彼らにとってかけがえのない未来につながる道なのです。
帰途、支援を受けている子たちが見送りに来て、日本のお母さんに抱き着きハグしている姿を見ていると、彼女たちが教育と共に心も育てられているのを感じるのです。