陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

バーンチィアン焼

2008年12月16日 | タイレポート

 

   この地球上のどこで、いつ頃、土器は生まれたのだろうか ?

そんな疑問にこたえるように、タイの東北部ウドンタニー県のバーンチィアン村からたくさんの土器が発見された。

Img_1665  よく「原始の美術」などの本で紹介されている写真のような朱色渦巻き紋の土器、これは、!957年にバンチィアン村の墓で発掘された。土器の破片を鑑定した結果、紀元前3600年頃のものであることが判明した。

このことから、バーンティアン村は、世界最古の文明発祥の地として、1992年世界遺産に認定された。バーンティアン焼は、今から5600年前に、焼かれた焼き物ということになる。 

 その後、何千年もの時を重ねながら、今でもなお、タイの田舎では、これとよく似た土器を焼いている。高床式の簡素な住まいも、もしかすると太古の昔とそんなに変っていないのかもしれない。山地には天然のバナナが実っている。       

 Img_1666 そういう意味では、タイは、遥かな悠久の時をそのまま止めてしまっているような地かもしれない。今回、残念ながらウドンタニーを訪れることはできなかったが、いつか機会があれば行ってみたいところである。

 さて、時代はいっきに下って、スコータイ(1200年~1300年)になってしまうのだが、スコータイ以前に、チェンライにもチェンマイにも王宮があったが、ミャンマーからの勢力に押されるように南下し、文明もそれに伴い変化していく。

 スコータイでは、ブラルアン王の要請によって、中国の陶工がスコータイに移住し、陶芸を始めている。中国の景徳鎮窯全盛時代のことである。  

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日本の縄文土器に見られるようなカエル模様がついている水差し。 写真は、サンカローク焼の展示場にて。

( ● ちなみに、日本各地で発見されている縄文土器は、今から1万5千年も前のものもあり、おそらくこれが世界で最も古い土器ではないか、とのご指摘を頂いたことを付け加えておきます。)


サンガローク焼

2008年12月11日 | タイレポート

  

 「サンガローク」とは、スコータイ時代に焼かれた陶磁器の名前である。

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 サンカローク古窯跡があると聞いて、

 シーサッチャーライ遺跡公園に向かった。

広大な公園の中を車で10分ほど走ると、立派な建物、

「サンカローク窯研究所」がある。

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庭のボダイジュ(菩提樹)の木が、 大変に美しい。Img_1562_2

         

ここの建物の中に、サンカローク古窯が保存されている。 以前は、露天ざらしになっていたそうだが、ユネスコがこれを遺産として保存することになり、立派な建物を建てた。

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見学コースのついた体育館のような建物に収められているサンカローク古窯。日本の古式の穴窯とほとんど同じ単室の仕組みである。

Img_1569  展示室には、ここで出土したたくさんの器が展示されてる。         チェンマイにある国立博物館より、収蔵品が豊富である。

Img_1554  タイのこの時代の焼き物と日本の江戸時代の

 「宋胡録・すんころく」焼については、次に書きたいと思う。

中国で始まった「焼き物」が、どのような道を通って広まって行ったか、そして、日本の焼き物がどのようにして日本独自のものになっていったかを知る上で、ここの窯はとても興味深い。


スコータイとスワンカローク焼

2008年12月05日 | タイレポート

 

 タイ人の案内人チップさん夫妻の運転する車で早朝にチェンマンを出発、バナナの原生する山を越え谷をわたり、タイ大陸を南下すること5時間あまり。行き先はタイ王朝の遺跡のあるスコータイを経て、この王朝の衛星都市だったピサノルークだ。

広大な緑の平地に,見たこともない美しい遺跡が現れた。スコータイ遺跡である。

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 スコータイとは、クメール帝国を破ったタイ人が、13世紀にこの地に建てたタイ初の王国である。

Img_1594_2 逆光に輝く大きな仏のシルエットが目に飛び込

んできた。

 13世紀末、3代目王ラームカムーヘーン時代にこの王朝は最盛期を迎えた。豊穣な国土に恵まれ、善政が敷かれて理想的な国家が成立する。遺跡はそれがどんなものであったかを今に伝えるに十分なほど魅力的だ。

Img_1592  シーサッチャナーラン・ピサノルーク・カンペーンペットは、この王朝の重要な衛星都市として栄え、国家も人々も文明を謳歌したに違いない。

 大王は、スリランカから上座仏教を取り入れ、中国からは陶芸を学んだ。それがスワンカローク焼きである。私はこの後、その窯跡を訪れたが、中国の景徳鎮を思わせるすぐれた焼き物である。

Img_1612 現在、このスコータイ遺跡は、ユネスコの援助によって整備された歴史公園になっている。

 東西1800メートル南北1600メートルの城壁に囲まれた遺跡は、どこから見てもため息の出るほど美しい。

Img_1606  ここに座する大仏は、かすかに微笑み、どこか人間的でおおらかである。

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上座仏教は国中に広まり、王はタイのいたるところに仏教寺院や仏像を建てた。王は、偉大な仏教の保護者であった

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 この王朝で使われた焼き物については、次にしるすことにする。


タイの陶芸3

2008年11月30日 | タイレポート

ヴィンパパオの陶芸工房 

   Img_1504_3        ここの仕事場は工場のように広い。

  空き地に屋根と囲いがついているだけなのも、  

  暑いタイならではのこと。

広い敷地のあちこちに場所を決めて、いろいろな仕事が分業で行われている。         

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ここでも、轆轤の達人と出会った。

 Img_1524_2         こともなげに大壷をひいているようにみえるが、左についている竹の棒で、高さを測り、正確に同じものをひく。

 ここで使われている轆轤は、古タイヤを応用したものだ。どこでもタイヤが大活躍。見事にタイヤが轆轤に転身している。

Img_1533_2 轆轤の横に立っている竹の棒に注目。

 拡大してみてください。すべてが手作りの道具ですが、轆轤のの腕はどの人も大したもの。

Img_1525  女は装飾を担当している。 

 赤いいベンガラを塗ってから、その上に、

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次々とナイフで花を彫っていく。

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ここで使う粘土を作っている所。

これを土練機に土を放り込んで、精錬し使いやすように棒状にする。

焼成は薪とガスの両方でやっている。

 

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Img_1509Img_1536_2              

          

ただし、 薪は、温度を上げるだけに使っている感じの雑木である。

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 タイの焼き物の主流は、どうやら屋外で使う大きな壷や鉢の類らしい。その他に、寺院で使う祭器のようなものも多い。

 日本でよく見かけるガーデニング用の水瓶や植木鉢もここで作られている。それらはすべてハンドメイドである。行程を機械化するより人件費の方が安いのだろう。30年ほど前、私がやっていた穴窯の雰囲気を思い出した。もう、日本ではあまりみられなくなった光景である。

 職人は、素晴らしい技術を持っているが、それが磨かれることなく消費されていく感じ。手仕事は、生活そのものなのだ。


タイの陶芸2・ヴィァンカロン焼

2008年11月26日 | タイレポート

 

 チェンマイから車で北(チェンライ方向)に向けて山道を2時間あまり走ると、ウ゛ィァン・パパロという町に着く。

 このあたりは、メーラオ川にそって多くの遺跡のある地域で、遺跡からは、たくさんのクメール文化を語る陶片が見つかっているという。

 ここにあるヴィァンカロン焼きの店を訪ねた。 

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 先に書いたカンケオ村の陶芸が、素朴な生活用具としての「土器」を中心にしたものなら、こちらは13世紀から15世紀にかけて栄えたチェンライ王朝の「器」の流れを汲む窯である。

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ヴぃァンカロン焼きの素地は薄く白色で細工も精緻である。灰褐色の素地に、花や唐草や馬の模様が鉄絵の技法で描かれている。

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 写真は遺跡から発掘された陶片、そこに描かれている模様を、ここの窯では再現している。模様はやや稚拙な感じの花や動物だが、当時のこの地の暮らしが垣間見られてとても興味深い。


タイの陶芸1・カンケオ村

2008年11月21日 | タイレポート

 「広い敷地には数棟の家が建ち、庭には牛が寝そべり、シャモが群れて羽ばたいては、ときを告げる。太いチークの柱で建てた家は、高床の妻入りで,屋根はチークの葉で葺き、上には千木がついている。妻側の入り口に梯子をかけ、床には半截にした竹をはり、壁は網代に編んである。             これこそわが出雲神社の原型ではないかと思った瞬間、弥生時代に迷い込んだような錯覚に陥った。」(銀花124号・母は陶芸家で紹介されているカンケオ村の様子)

Img_1466 カンケオ村入り口のモニュメント     

焼き物でできている。

Img_1460_2 村の中心にある焼き物の作業所のようなところ。

轆轤でおおきなつぼを挽いている。

写真を拡大してみると、仕事場の様子がよくわかるが、道具らしい道具は使っていない。だが、轆轤の腕は確かなもの。

Img_1459 小さなもの、多分蝋燭立てを、ベテランの男性がひいている。見ていると至極簡単そうに見える。道具にこだわる私たちと違い、あるものを使って仕事をする。仕事場はしごく素朴で面白い。

Img_1461 生の壷にベンガラを塗って、模様を掻き落とす。

ここの窯のメインの製品。寺院等の装飾に使うのかもしれない。

地面に座って壷に赤いベンガラを塗っているおばあさん。

Img_1462_3 男性の引いた壷が生の内にベンガラを塗り、それを石でこすって磨く。おばあさんは、一日に25個くらいみがくといっていた。90歳くらいに見える。Img_1463

作業場のおじさん。

バックを見ると、この仕事場がどんなふうか、よく分る。

ここが最初の窯場で、ここから露地に入っていくと、どこの家の庭でも、女たちが内職仕事で轆轤を引いている。

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水牛の置物と水瓶が置いてある農家の庭先。

Img_1468 屋根の上の猫。

顔は、日本の猫と同じなのだが、何だか美しい。

Img_1472 地面に突き刺しただけの簡単な轆轤。独楽のような形をしている。

この轆轤を上手に手回ししながら、上手に小さな壷を挽いているお母さん。

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Img_1470 お隣の家でも、お母さんが轆轤を引いている。

Img_1474 こちらは、木片を貼って「象」の置物を作っているおねえさん。

Img_1477_2 この人の仕事場は家の前。

構えは露天のようだ。

Img_1484 道端で子供のままごとのような花いっぱいのお惣菜を作っているおばさん。

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みんなの作った焼き物を、リヤカーにつんで運ぶおじさん。

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平和なカンケオ村の のどかな昼下がり。

しかし、どの家でも、男と若者は町に働きに行ってしまって留守、「もうこういう仕事は、わしらでおしまいだ」。

みんながそう言うのでした。

写真を拡大していただくと、タイの焼き物づくりのようすがよくわかります。


THAILANDレポート

2008年11月18日 | タイレポート

  タイ北部の都市チェンマイを拠点に、タイの田舎を歩いてきました。陶芸のことを中心にそのレポートをしてみたいと思います。   

  まずは、チェンマイ空港から車で30分ほどのところにある 「カンケオ村」のレポートです。

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  突然、タイムスリップしたような

 田舎風景。

 

 家の庭先には、写真のような小屋があって、水がめが二つおかれています。甕の中には水があり、やしの実でできた柄杓がおかれています。ここを訪れる人々への、もてなしの「水」なのだそうです。 どこの家の入り口にも、同じような「水甕」が置いてあり、庭の奥が、昔ながらの高床式の家になっています。

 水瓶には、水の入っていないものもありましたが、実は、このカンケオ村、昔からこの「水瓶」を焼いている焼き物の村なのです。