友達から挿し木で頂いて、垣根のそばに植えたまま、忘れかけていた木苺の木が、
どんどん枝を伸ばして大きくなった。と思ったら白い花を咲かせて、それが赤い実になった。
かたい赤い実は、どんどん膨らんで、
ふっくらと赤くなったと思っていたら、次の日それが黒い実になった。
そろそろ食べごろかと、捥いだら、ポロリと取れた。
種もなくて、酢っぽっくって、フルーティな味。
木苺や 遠いあの日 詰まってる幸せ
友達から挿し木で頂いて、垣根のそばに植えたまま、忘れかけていた木苺の木が、
どんどん枝を伸ばして大きくなった。と思ったら白い花を咲かせて、それが赤い実になった。
かたい赤い実は、どんどん膨らんで、
ふっくらと赤くなったと思っていたら、次の日それが黒い実になった。
そろそろ食べごろかと、捥いだら、ポロリと取れた。
種もなくて、酢っぽっくって、フルーティな味。
木苺や 遠いあの日 詰まってる幸せ
隣接の空き地に咲いた、ピンクの可憐な花たち。
気になっていたんですが、
名前が分かりません。
今日、調べてやっと名前がわかりました。
アカバナ科・マツヨイグサ属・ユウゲショウ
名前が分かると愛おしさが増すのは、花に限ったことではありませんよね。
つい先だってまで 伊勢志摩G7サミット で賑わっていた 伊勢の神宮 に行ってきました。
内宮の入口でもある五十鈴川にかかる宇治橋・宇治橋をわたるとここから神宮の森が始まる。
といっても、特別に「伊勢参り」に出かけたわけではなくて、所属するETTという会の勉強会が「おかげ横丁の五十鈴塾」で開催されていたのに参加して、その日が、丁度神宮の「月次祭」(つきなみさい)で、「奉幣の儀」(ほうへいのぎ)が行われるというので、内宮に参拝し、その儀式を拝見することができたというわけです。
祭主は昭和天皇の四女、池田厚子さま・ 緋袴に淺沓 白の神職衣の礼服姿で行列の先頭を行く
月次祭は、天皇陛下の勅使が、天皇より賜る「幣帛(絹織物)」を内宮の主である天照大御神に奉納するための儀式です。 物々しい行列がうっそうとした森の中から現れ、神殿に消えていくのを見守りながら、なぜか自分も厳かな気持ちになっていくのを感じます。
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サミットで伊勢神宮を訪れたオバマ大統領は、神宮について次のように言われたそうです。
It is a great honor to visit this sacred place, which has brought comfort and peace to generations. May the peaple of the world be inspired to live together in harmony and understanding.
(幾世にもわたり、癒しと安寧をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ非常に光栄に思います。 世界中の人々が平和に理解しあって共生できるよう祈ります。)
まったく宗教の違う外国の人々にも、千年を超える巨木が生い茂り、シンプルで厳かな神の社を守るこの森の空気は、神聖なおかしがたいものに思えたのでしょう。森そのものがご神体であるような、日本の神さま(八百万の神)とはどんなものなのでしょうか。
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伊勢神宮には20年ごとに神殿を吹き替える「式年遷宮」という制度があります。原則として20年ごとに、内・外両宮の正殿を初めとする別宮以下の正殿を、造り替えるものです。記録によれば「神宮式年遷宮」は、明日香時代の天武天皇が定め持統天皇4年にその第1回が行われたとあります。途中に中断があったとはいえ、1300年もの昔に始まった儀式を、そのままの姿で現代にまで引き継ぐということは「驚くべきこと」としかいいようがありません。
それだけでも大変なことなのに、何とその20年サイクルの「遷宮」のために、伊勢の森では、長ーい年月をかけて「檜(ひのき)を育てるという大仕事」を続けているのだそうです。なるほど森は広大で、その間を美しい五十鈴川が流れ、樹木の生育には最適です。神殿の柱になる樹齢千年の大檜も、そして毎年植えられる新しい檜の苗も、ここでならきっとうまく育つでしょう。 伊勢の森は、それ自体が神宮を守り継承するための巧みなシステム「持続可能なリサイクルシステム」を最初から持っていたということなのです。
1000年という悠久の月日を見据えた遠大なリサイクルのドラマを、古代の人々はどうやって想い描いてたのでしょうか?
式年遷宮というのは、それまでの神殿と全く変わらない神殿を20年おきに新しく造り替えて、次の世代に伝えるというシステムです。(古材は鳥居やその他に使われ、そのままリサイクルされた) 。 以前と全く同じものを生み出すためには、そのためのすぐれた素材と、それを使いこなす高い技術が必要です。建築に携わった先輩が、確かな技術を次世代に伝えるために 口伝 という方法が使われました。書面ではなく 口伝 で伝えることで、確かな技術が伝承されました。 当時の人の寿命を考えると「20年」という年月が丁度良い時間ではなかったのか・・、などと推測してしまいました・・・・・。人々は,口と手と体で技法を伝えながら、次々と世代を重ねて、1300年もの間、その技術を伝え続けたのです。
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さらに面白い話を聞きました。
「樹々」はどうして誕生したのか、
素尊は、髭を抜いて散らし杉を化生し、胸毛を抜いて檜とし、尻の毛を抜いて柀(まき)とし、眉毛を抜いて楠となした。杉と楠で船を造り、檜で宮殿をつくり、柀を棺にせよといって、木種を分布させた。そして、紀伊の国にわたった。と「日本書紀」では記しています。
いろいろと考えていると、森や神殿やそれらを取り巻く大自然そのものが伊勢の神さまであって、伊勢神宮は、その国造りの祖としての役割を課せられていたことが分かるような気がします。神話の世界は、現実と少しずつ入り交じりながら、長い年月をかけて歴史を形づくり、人々の心に信仰を育てていくのだと、伊勢の森の清清とした霊気を浴びながら思ったのでした。
六月だというのに、上野の森は真夏日を思わせるような日差しです。
汗ばむような日差しの中を、たくさんの人々がそれぞれの目的に向かって歩いています。上野の森には、広い公園の中に数多くの美術館や博物館がありますから、目的を絞って歩きやすい服装で出かけないと疲れます。
赤煉瓦の美術館、東京都美術館(2階第4展示室)で、第26回工藝美術「日工会展」が開かれています。
工藝美術日工会は、ものをつくる歓びを共有し、
作家相互の自由意思を尊重し価値ある造形を志す作家の集まりです。
現代の人の心に潤いを与え、より高く、時代を先駆ける創造を指向して、
日本の文化発展にいささかでも寄与できればと願っています。(開催にあたってより)
今回の私の出品作品「涅」は(第1室)にあります。
展覧会は6月19日まで。日展作家のすばらしい工藝作品が並んでいます。おつでがありましたらぜひお立ち寄りください。
今年も梅雨の季節を迎えました。何処に行っても紫陽花の花がきれいです。
紫陽花はこの季節のシンボルであり、その色と言い風情と言い
何処か日本人の古典的な美意識に通じるところがあるような気がします。
家の前、谷津山の紫陽花。数年前に植えた株が成長して窓からの眺めはなかなかのもの。
これだけ一般的で庶民的な紫陽花だから、昔の物語や詩にも
きっとたくさん読まれているだろうと思って、調べてみたのですが、
なぜかあまり目ぼしいものが見つかりません。
やや平凡だけれど昔の人の感興が感じられるかな、と思った一首。
あぢさゐの下葉にすだく蛍をば四ひらの数の添ふかとぞ見ゆ 藤原定家
紫陽花と蛍の取り合わせを見たままに読んだのでしょう。
ただ、古人が見ていた紫陽花も、歌に読まれた紫陽花も、
今私たちが見ているような色鮮やかで大ぶりな紫陽花ではなく、
写真のような、やや地味なガクアジサイだったのではないでしょうか。