三ケ日が明けてから、娘家族と一緒に伊豆の国・修禅寺温泉に出かけました。
伊豆は、私が学校を卒業して最初に赴任した地でしたから、私にとっては心の原風景のようなもの、とても懐かしい地です。ところが、今回何十年ぶりかに訪ねると、見知らないことばかりです。温泉につかった後には、ものめずらしく今風の観光地の散策を楽しむことになりました。
桂川沿いにあるのは、福知山修禅萬安禅寺(通称・修禅寺) この地の中心です。
近くには、有名な「独鈷の湯」もあります。桂川に沿って界隈の小道を入っていくと、おしゃれな小さな店がたくさん並んでいます。このあたりを最近は「伊豆の小京都」と呼んでいるとか。若者たちにも人気な温泉街だそうで、そういえば若者の姿も結構たくさん見かけました。橋や史跡や自然を核に、伊豆の歴史をたどりながら修禅寺を楽しむ仕掛けが、上手にできているという感じです。
桂川の中州にある有名な独鈷の湯です。
修禅寺は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院で正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」。そのすぐ近くにある「独鈷の湯」は、弘法大師が川の岩を独鈷で砕いて温泉を湧出させたという伊豆最古の温泉。
修禅寺に参拝して、温泉街をぶらぶらと歩いていると、能面を並べて売っている店がありました。 その能面を見て、岡本綺堂の修禅寺物語を思い出しました。頼家に面作りを頼まれた夜叉王は、頼家の面を打ちますがそこに死相を見ます。やがてそれは現実に・・・。
伊豆の修禅寺に頼家の面というあり、作人も知れず。由緒も知れず。木彫の仮面にて、年を経るまま面目分明ならねど、いわゆる古色蒼然たるもの、観来たって、一種の詩趣をおぼえゆ。当時を追懐してこの稿成る。
(岡本綺堂 修禅寺物語冒頭より)
こんな具合に始まる綺堂の修禅寺物語。綺堂が宿の主人から聞いたというの話は、源頼家 の面のことでした。源頼家は、鎌倉幕府を作りあげた源頼朝の嫡男で、母は北条政子です。鎌倉幕府の二代征夷大将軍になりながら、敵勢力に疎外されて鎌倉を追われ、伊豆に幽閉された後、23歳の若さで暗殺されます。この悲運の将軍と能面師夜叉王とその娘との物語は、後に「修禅寺物語」として歌舞伎の演目にもなって有名です。
この階段の先にあるのが、頼家の死を悼み母北条政子が建立したという伊豆最古の木造建築「指月殿」。
指月堂には一体の仏像があり、息子の冥福を祈って北条政子が贈ったといわれるもの。鎌倉時代の作とか。
指月堂の先には頼家の墓もあり、揺れ動く鎌倉の草創期の混乱の様子が目に浮かんできます。
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伊豆の国 狩野の庄 修禅寺桂川のほとり 藁葺きの古びた二重家体。破れたる壁に 舞楽の面などかけ 正面に紺ののれんの出入り口あり、下手に炉を切りて 素焼きの土びんなどかけたり。 庭の入り口は 竹にて編みたる門、外には柳の大樹、そのうしろは 畑を隔てて 塔の峰つづきの山または丘などみゆ。
(修禅寺物語の舞台の描写です)
そうそう、 私の知っている伊豆もこんな風な質素で素朴な地でした。私の思い出に登場してくる子供たちも、ネコがネズミをかじった ネズミがチュウとないた なんて俳句とも詩ともつかないものを書いてくる、人懐っこい素朴な子供たちでした。伊豆の地は、そんな懐かしい昔をふと思い出させてくれたのでした。
歴史は町の宝物ですねー。掘れば掘るほど豊かな水が湧き出てくる「独鈷の湯」のようなものかもしれません。歴史のある町が好きです。思い出も同じようなものかしら?