「トンネルを越すとそこは雪国だった」は、有名な川端康成の小説の書き出しだが、東京から上越線「Max とき」で一時間半余り、トンネルを越すと本当に窓外にまっ白な山塊が広がってきた。「次は越後湯沢」と車内アナウンスの声。いよいよ越後だ。今回の目的地は、新潟県柏崎市・刈羽村、そう、原子力発電所のある場所である。
平成19年7月16日、新潟県中越沖を震源とする地震が起こった。震源地は上中越沖の深さ17km、マグニチュード6.8、震度は6強。長岡市内で立ち寄った器の店で聞いたら 「そりゃあ、大変なものでしたよ、棚から器が落ちてきてみんな壊れちゃったから・・・・、もう器は買わないって方も多いんです」
この震源地近くに、「柏崎刈羽原子力発電所」があった。東京地方500万世帯に、電気を送っている超大規模な原子力発電所だ。「その後ここはどうなっているのか、原子力発電所ははたして本当に大丈夫だったのか」、それが今回の研修の目的だ。
柏崎刈羽村は、日本海に面したさびしい海岸沿いの寒村だ。折からみぞれまじりの雪が降っている。北朝鮮に拉致された人たちは、きっとこんな淋しいところから連れ去られたのたろう、そんなことを思わせる冬の暗い海だ。雪道はすべりやすく、歩きにくく、その上寒い。 だだっ広い敷地に無機質な巨大な建物、どこを探しても面白いものなんて見つからない、それが発電所だ。それは外見だけでなく内部も同じ。構造や機械工学に無知な者にとっては、取り付く島もない・・・・・・・・。
原子力発電の心臓部である「原子炉」の格納庫は、地下35メートルの岩盤の上に作られているのだという。そこに、5メートル程のショックアブソーバーを置き、その上に基礎を作る。だから実際には6階建てでも、3階までは地下にあるから外からは3階建てにしか見えない。
地震は、もちろんここをも激しく揺すった。その時、原子炉の中の制御棒は正しく作動し、原子炉は正確に止まった。細かい報道はいろいろあったが、とにかく7基ある原子炉のすべてが正確に止まった、と担当者は誇らしげに言った。確かに、心臓部であるここらあたりには、ひび一つ入っていない。
外は激しい雪。作業員たちは、そこで作業を進めている。地震から2年、すべての機材を分解し、再点検して元に戻すのだという。3000億円の大金を投じての大作業が続く。正確にはまだ再開の時も決まっていないという。気の遠くなるような地味で努力の要る仕事である。しかも、ここの電力は、ほとんどが東京近辺に住む人たちのためのものだ。
人間は叡智を絞って自然を支配し、支配を拡大し続けてきた。
天災は、時たま、その叡智をあざ笑うように襲い掛かる。
それは、神の試練か?
天の声か?
試練に耐えて毅然と建っている「原子炉」を見ながら、何だか涙が出そうになった。拍手を送って上げたい気がした。雪深い北国のこの淋しい町がここに原子力発電所を受け入れたことにも。雪国に住む人は無口で我慢強いという。自然の恐ろしさを、人の力の及ばないことを、知っているからだろうか。
雪が、すべてのものを白くおおって、越後は一面の美しい雪景色であった。