陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

レポート(8) ・ スローライフ

2007年10月22日 | ドイツレポート

 さて、だらだらと書いてしまったが、ここらで一度文章をくくっておこうと思う。まとめのレポートはスローライフ。

 Img_0230               日曜日の朝。

  リビングから穏やかなミサ曲が流れてくる。

  今朝は、シュナイダーさんがキッチンで朝食の準備だ。

 キッチンからはコーヒーの香り・・・・・。

 午前九時。

 おそがけのブレックファースト。

 パンも、ハムも、ゆで卵も、果物も、

 これといった加工をしてあるわけでもないのに、

 なぜか、とびきっりおいしい。

 会話がはずむ朝のひととき。

         

   

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キッチンの管理は女性、庭の管理は男性。

 ドイツ女性の家事能力の高さには定評があるが、

 リビングも、ダイニングも、キッチンも、バスルームも、

  いつもきれいでセンスがいい。

 システムも負けず劣らず機能的である。

 食事の後

 シュナイダーさんは、庭の手入れを始めた。

 芝生を刈って枯葉をかき集めて、草花の世話をする。

 ひと汗かいた後は、庭でお茶。

 それから日光浴。

 ヨーロッパの人々にとっての太陽は、

 日本人には分らない価値があるらしい。

 きれいになった芝生で遊んでいるのは、草ちゃんとお隣のヘンリー君。

                            

                  午後、

 買い物に行って帰って見ると、リビングのソファーで、シュナイダーさんと草ちゃんがお昼寝をしている。

  ゆったりとしたやさしい時間が流れる、秋の日の午後。

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 シュナイダー家にお邪魔していて、何がいちばん素敵だったか、と問われたら、それはやっぱり「暮らしの豊かさ」だろう。

 「豊かさ」は、時間だったり、空間だったり、会話だったり、食事だったり。何がどう日本と違うというわけでもないのに、「暮らし」が、がっちりと生活の仕組み中に位置づけられていいる感じ。 それは、三週間のバカンスがあり、ペアでオペラやパーティに出かけるのが当たり前の社会のあり方にもよるのだろうが、今回は、シュナイダーさんとバーバラさんの個性と魅力によるところ、大である  、 

   シュナイダーさん60歳、バーバラさん55歳。素敵なドイツの家庭を見せてくださり、ほんとうにありがとう。

      (写真はクリックすると拡大します。)

  


レポート(7) ・ ホンブロイヒ美術館

2007年10月15日 | ドイツレポート

 地元の方が車を出してインゼル・ホンブロイヒ美術館に案内してくれた。

 ホンブロイヒ美術館は、デュッセルドルフ郊外のエルフト川沿いに、自然と芸術との共存をモットーに創られた芸術公園で、「美術館島」ともいう。

  その昔、ここは石炭の採掘場であった。

Img_0152 石炭を掘 り終えた荒涼とした荒野を手に入れたのは、プローカーで美術品コレクターのカール・ハインリヒ・ミューラー氏。1986年、彼はここに、古代の湿地帯を復元し、その風景に調和させた野外作品を展示、芸術家のためのアトリエ、パヴィリオン等を点在させた「総合芸術作品」としての「美術館島」を開設した。(写真上は、現在も野天堀りが行われている採炭場・デュッセルドルフ郊外)

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 一日ではとても回りきれないほどの広い敷地の中を、

 野原をピクニックするように散策しながら歩いていくと、

Img_0136_2 次々と作品に出会う。        

 楽しく語らうように並ぶ椅子たち。

Img_0137 古代遺跡のような石の彫刻たち。

          

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建築家の作品になるパヴィリオン。       

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 パヴィリオンの中は、異次元の芸術空間、 

古代西洋と古代東洋とが混在し、

               

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 過去と現代と未来が錯綜する。

 Img_0146        。

    

  

         子半日をかけて回っても全部は回りきれず、最後に行ったのが、「安藤忠雄」のImg_0147_2美術館。コンクリートの壁と水、余分な装飾を取り除いた知的な安藤忠雄の世界である。

こんなところで安藤忠雄と出会えるなんて  !

                 何だか懐かしく、うれしい感じ。

 ここ美術館等には、野外作品やパヴィリオンの他にも、レンブラント・ブランクーシ・ミロ・セザンヌ・マチス・ピカソ・ゴッホ・モジリアニ等のコレクションが無造作に展示されているのだと聞いたが、今回は半分で引き返した。

Img_0134_2 Img_0118 美しい緑に覆われた芸術公園の製作は、現在も進行中で、アトリエではここに居住して作品を制作するアーティストたちが暮らしているのだそうだ。

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 それにしても、なんという贅沢、何と豊かで美しい空間であることか !

日本にも(静岡市に)、こんな公園が欲しいものだ。


ドイツレポート(6)  パーティ

2007年10月13日 | ドイツレポート

  芸術祭が近づくと、パーティが始まった。前夜祭パーティ・オープニングパーティ・アーティスト関係者パーテイ等々、毎晩のようにパーティがある。                

       Img_0113    「今夜はパーテイがあるから、みんなでいきましょう」 とバー バラさん。

  パーティといっても、日本のそれのようではなく、ごく日常  的な感じの集まりだ。 最初偉い方のスピーチがあり、その後はビールやワインで乾杯、食事をしながら周りの人たちとおしゃべりをする。参加者の多くが、日本に行ったことのある人や日本に子どもを行かせた事のある親日家である。

  たまたま、日本に行ったことがあるというドイツ婦人と話をした。

 「日本では、どこにいらっしゃいましたか」

 「TOKYO   KYOTO  HAKONE   KAMAKURA ・・・・」

 「それで、日本の印象は?」

 「TOKYOの超MODAN 、KYOTOの超CLASSIC。

  それが現代の中に共存している素敵な国」

  「 なるほど ! 」

Img_0106  娘はというと、小児科のお医者さん夫妻と子育て談義、母子手帳まで出してやっている。何処に行っても「こども」は大人気だ。

 大学生のアシスタントは、若者同士でアニメの話。12歳の女の子は、ドイツ語の吹き出がついた日本マンガを持っている。「どうしても日本に行きたいんだけど、ママがまだ若すぎるっていうの」。

 パーティとは、気軽なコミュニティの集いのようだ。ここに集まったメンバーは、その後にもよく出会いすっかり顔見知りになった。

  


ドイツレポート(5) ホームスティ

2007年10月12日 | ドイツレポート

 バカンスで留守だったローランド・シュナイダーさん夫妻が旅から帰宅された。私たちは、大所帯で(別々なところにいた娘夫婦と1歳の男の子と私) シュナイダーさんの家におじゃますることになった。

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シュナイダーさんは、クレーフェルト市の民生・青少年・文化・担当の助役さん。奥さんのバーバラさんは、知的で美しい元看護婦さん。

         

Img_0155  クレーフェルト市郊外、「ビスマルク」バス亭でバスを降り、

Img_0158_2   「シューベルトシュトラッセ」から

  「ブラームスシュトラッセ」へ、

Img_0154_2   このあたりは、素敵な家が立ち並ぶ高級住宅地。

  シュナイダーさんの家もこの一角にある。  

Img_0245_2  

 環境も住宅も、羨ましいほど豊かで快適だ。

(写真は、クリックすると拡大します。)


ドイツレポート(4)  トラム

2007年10月11日 | ドイツレポート

  宿と画廊との関係が分ってからは、街をひたすら歩くことにした。テクテク歩いていると、だんだんこの街の様子が見えてくる。

 断然多いのがパンや。骨董屋・アンティクショップも結構多い。 家具やアクセサリーや雑貨、使い古したペレシャ絨毯みたいな敷物も売っている。こういう店をのぞいてみるのも楽しい。デパートも二軒ほどある。ファッションに関しては、日本とは比べ物にならないくらい地味だ。道行く人の服装もいたって堅実、地味で暗い感じがする。

 この街の旧市街はおよそ1キロ四方くらいだろうか、旧市街の真ん中を「トラム」が走っている。トラムとは、路面電車のことで、これがなかなかいい感じで、しかも便利そう。 画廊の近くにも走ってくる。

 「これに乗れば便利だぞ」と、何回か試みたのだが、どうしてもキップの買い方が分らない。パスみたいなものを見せて乗るのだが、それを何処で買うのか分らない。仕方なし、トラムを横目にベビーカーにチビを乗せてお散歩である。(今回の私の役目はベビーシッター兼雑用係)Photo_4

 ところが3日目くらいに、「クンストクレイフェルト」(クレーフェルト芸術祭)で、市内交通機関無料パスをくれたのだ。それからはトラムとバスの乗り放題。おかげで自由自在に街を動けるようになった。ベビーカーづき・・・だけど。 

 不思議なことに、ベビーカーを引いていると、道をたずねる人がいる、西も東も分らない日本人の私に・・・。 これってベビーカー効果? 


ドイツレポート(3) タクシー

2007年10月06日 | ドイツレポート

 「6人分のお昼を買って、ギャラリーまで来れるかしら?」

 西も東も分らない、言葉も通じない、さてこれからどうしたものか、思案に暮れていた私に、別なところにスティしていて、すでに仕事に取り掛かっている娘から連絡が入った。

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娘たちは、郊外にある「KUFA」 という場所で、インスタレーションの製作中なのだ。(写真) 

 製作クルーはアシスタントの学生を含めて6人、そのお弁当を買ってきて欲しいという。そんなこといったって、KUFAっていったい何処なの? どこでお弁当を買ったらいいの?、とは思ったが、「OK」と電話を切った。

 「さて、ユーロで最初の買い物だ」

 張り切って旧市街の商店街に出たが、店は何処も閉まっている。あいにく日曜だったのだ。日本みたいに、ちょっと歩けば「コンビニ」なんてことは考えられないドイツのこと、休みの日にお弁当を買うなんて至難の業。

 ようやく見つけたキヨスクで、ハンバーガーと飲み物を六人分買った。

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 さて、「行き先」だが、分っているのは住所と名前だけ。 こういう時はタクシーに限る。

 ところが、いくら待ってもタクシーは走ってこない。車はたくさん走っているのに、タクシーそのものが走っていない。待つこと30分あまり。

  あきらめて、キヨスクに戻った。

「タクシーを呼んで欲しいんだけど」、勇気を出して頼んでみた。今度はおじさんが、すぐに電話をしてくれた。間もなくやってきたタクシーで、ようやく最初の目的地に無事到着。 

 颯爽? とお弁当を持って現れた私を見て、「 なかなか やるじゃん」と娘。(それはそうだよ、タクシー捕まえるのが、どんなに難しいか、あなた知らないでしょ)

  後で分ったことだが、この街には「流しのタクシー」はない。タクシーに乗りたければタクシー乗り場(駅前にあった)まで行く。タクシーを呼ぶには、共通番号「22222」をダイヤルし、相手に自分の居場所を伝える。 

 (そもそも自分の居場所が分らないん人は、どうしたらいいのかしら・・。) 

 滞在中いろいろな場面で感じたのは、ドイツ人の合理主義だ。無駄なことはしない。流しのタクシーにしろコンビニにしろ然り。日本で叫ばれている「サービス」が、はたして本当に必要なものか、考えさせられた。


ドイツレポート(2)・クレーフェルト

2007年10月04日 | ドイツレポート

 「ドイツレポートって、それ、いったい何処の話? 」 そう思われるだろうから、「クレーフェルト市」について少ししるしておこう。

紋章地図
Stadtwappen der Stadt Krefeld Lage der Stadt Krefeld in Deutschland
ノルトライン=ヴェストファーレン州における位置

 Krefeld

  ドイツ西部のブェストファーレン州に属する人口約24万人の都市。

 ここは、ライン川の左岸に位置する工業都市で、絹織物などの繊維産業で知られる。約20キロ南はメンヒェングラットバッハ、25キロ北東にデュースブルグ、20キロ南東にデュッセルドルフが位置している。

資料によると

「その昔、ネーデルランドなどで迫害を受けたプロテスタントを受け入れたことで、絹織物の技術がもたらされ、これがこの街の絹織物産業のもととなり、絹織物をヨーロッパ中に卸すことで富をたくわえた。 18世紀よりプロイセンの支配下に入り、1756年に勃発した七年戦争では、ブラウミシュヴァイク公がフランス軍をクレーフェルト近郊で撃破しており、その後ナポレオンによる支配を経て、プロイセン、北ドイツ連邦・ドイツ帝国の領土となった。」

ということは、「ヨーロッパの長い歴史を生きてきた古い街」という言葉が適切なのだろう。

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現在も、旧市街が街の中心になっていて、そこから郊外に新しい住宅地が広がっている。ちょうど、静岡市が、静岡駅・呉服町・七間町・市役所あたりを中心に発展しているのと似ている。クレーフェルトも、旧市街を中心に、駅舎があり、劇場があり、市役所があり、商店街があり、デパートがあって、にぎやかである。


ドイツレポート(1)   宿屋

2007年10月04日 | ドイツレポート

 旅の宿を「ホテル」としないで「宿屋」としたのには、少々分けがある。

 午前中に名古屋から飛行機に乗り、そのまま機内で一夜を明かし、フランス・ドゴール空港に到着したのは次の日のお昼過ぎ、そこからさらに飛行機を乗り継いでランクフルトへ。そしてさらにそこからドイツ鉄道でデュッセルフドルフにいき、さらにそこから車で30分あまり走って、ようやくクレーフェルトに着いた時には、夜もかなり更けていた。

Img_0092  「ここに予約がしてあるから」 

 私はひとり宿の前で車を降ろされた。

Img_0090  宿の入り口は閉まっている。渡されたカギで玄関を開け、中に入ったが誰も出てこない。カギを頼りに狭くて薄暗い階段を、トランクを持って3階まで上がった。部屋はかなり広いツイン部屋で、シャワーもついている。疲れていたのでその日はそのまま眠ってしまった。

Img_0089  明るい光で目を覚ますと九時近い。

 ここはいったい何処なのか、手続きはどうなっているのか、皆目分らない。

 恐る恐る昨夜の階段を下りて1階のドアを開けると、そこは昔ながらのドイツ風の装飾のダイニング。年配のおじさんがひとりカウンターに座って新聞を読んでいる。

 Img_0080_2        

 私は、たどたどしい英語で名乗り、ここに3日ほど泊めて欲しいこと、どう手続きをするのかをきいてみた。ところが、全く通じない。いろいろやってみたがどうしてもダメ。(後でドイツ語しか通じないことが分ったのだが) 

 一人旅には慣れているつもりだったし、大概のことは何とかなるとたかをくくっていたが、この時はかなりあせった。ここからどうやって次の行動を起こせばよいのか分からない。

 それでも、朝食はいわゆるコンチネンタルのセルフサービスだから困らない。

 お客は私ひとりきり。

 ゆっくりとコーヒーを飲んでいると、今度は年配のおばさんがやってきて何だかしゃべっている。何のことかさっぱり分らない。ハムやソーセージについて言っているようなので、黙っておばさんについていった。何のことはない、冷蔵庫にしまってもいいか、ということだった。ここの朝食は9時半まで、それを過ぎていたから片付けるということだったのだ。

 ここは、日本風に言えばいわゆる田舎の「宿屋」。年配の夫婦がのんびりと経営し、ベットとブレックファウストを提供する。お客は、家と部屋の鍵を渡され、いつでも自由にこに出入りすることができるが、家のドアはいつでも閉まっていて、夫婦も朝しか顔を出さない。いたって簡便な仕組みの「宿屋」である。

  ちなみに一泊の値段は60ユーロで、ホテルの半分だ。

  私はここに3日間滞在し、何とかおじさんとコミュニケーションがとれるようになったが、3日間持ち歩いたあのどっしりと重たい、クラフト作品みたいな鐘の形をした立派な玄関鍵の写真を撮るのを忘れたのが、いかにも残念だ。

(写真は、クリックすると拡大します)


ドイツ・旅レポート

2007年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 Img_0088           久しぶりにドイツに行ってきました。

 「久しぶり」というのは、これまでにも何回かヨーロッパには行ったことがあり、そのたびにフランクフルトやデュッセルドルフやハンブルグなど、大きな街には立ち寄ったり、泊まったりしているのですが、ひとつの街にゆっくりと腰をすえて滞在し、「ああ、これがドイツなんだ」、と味わえたのは久しぶりのこと、ということです。 

 私が、初めてヨーロッパに行ったのは、今から丁度30年前のことです。

 フランスから夜行列車に乗ってドイツへ。ミュンヘンに到着したのは早朝のことでした。列車を降り立って最初に目にしたのが、ミュンヘンの旧市街(マリオン広場)の光景でした。

  突然、広場の古い時計台からオルゴールの音が流れ出し、人形たちがゆっくりとリズムに合わせて踊り出したのです。ヨーロッパの古い都市によくあるからくり人形の時計だったのですが、初めてそれを見た時、「ああ、いよいよヨーロッパにきたんだ」という感慨で涙がこみ上げてきたのを覚えています。

 知識としては知っていたヨーロッパが、実感をともなって迫ってきた瞬間でした。その時も、ミュンヘンの家庭に数日間泊めてもらいましたが、その最初のミュンヘン経験が、私がその後、ドイツやドイツ人さらにはヨーロッパを考える時の原風景になっているような気がします。

Img_0086  今回、思いがけず30年ぶりにドイツでホームスティする機会に恵まれ、私は、ますますドイツびいきになって帰って来ました。 日本人にはあまり人気のないドイツ料理の、ザワークラウトやポテトやソーセージも気に入っています。 

 観光ガイドブックにも出ていないドイツの小さな街「クレーフェルト」で、等身大で見たり感じたりしてきた「ドイツ」について、レポートしてみたいと思います。(写真上は、クレーフェルト市の旧市街の教会下は、年代物のクレーフェルトの駅舎です。)

ではまた明日。