陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

ツリガネニンジン

2013年09月22日 | インポート

  

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  秋の庭 誰が創りしか ツリガネソウ

 よく見ると、山野草には形の面白いものが多い。

今朝、庭で見つけたツリガネニンジンも、ムラサキツユクサも、ホトトギスも、けっして創ろうとしてできる形ではない。植物学的には、いろいろ理由があるのだろうが、だとしても、色といい形といい造形の妙としか言いようがない。そんな花を観察し絶妙な名を付けた先人の造詣の深さにも、感服する。

 一粒のけしにも宇宙が宿る 

 と言ったのは寺田寅彦だったか。

 季節の訪れごとに少しずつ変わる庭の草花を見ながら、こんな風に自在な造形ができたらいいのになーと思うのだが、神様の手にはかなうはずもない。

 


中秋の月

2013年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

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 夜、外に出たら大きな美しい月。

 そうだ、中秋の名月だった。

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 そういえば今年は、庭の萩も満開だ。

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 秋の展覧会の作品制作におわれて、気が付いたら九月も中旬を過ぎていました。創った作品の乾燥が間に合うかどうか、閉め切りぎりぎりで、心配です。、

 


夏の終わりに

2013年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

  21世紀に起きた出来事の中でも、大きなエッポックになるに違いない3・11東日本大震災。

 どうしても見ておきたかったその被災地を、やっと訪ねることができました。

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  写真は、大津波に襲われた石巻の海岸付近です。

 あれから2年半、瓦礫で覆われていた大地は、すっかり緑の雑草に覆われていました。凶暴な爪跡を包み隠すような自然の営み、これも大きな自然の摂理なのでしょうか。以前のことを知らない旅人の目には、これがもともとの風景のようにさえみえます。

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 今回の旅は、仙台を早朝に出発して、車で三陸自動車道を東松島市・石巻市・と走って、太平洋に突き出た牡鹿半島端にある女川町を訪ねるというものでした。                        車が、にぎやかな市街を過ぎると、報道で見知った被災地の風景が次々と広がっていきます。

さらに海岸から山道をくねくねと登っていくと、牡鹿半島の東の付け根にある小さな漁港・女川町が見えてきます。大きな津波が河口を這い上がるように襲って町を飲み込み、壊滅的な被害を受けたところです。

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 その女川町には、東北電力が1980年代に稼働させた3基の原子力発電所があります。福島原子力発電所が決定的な惨事を起こした今回の大震災の中で、女川はどうして無事だったのか、それは何が要因だったのか、それを聞くことも今回の目的の一つでした。停止したままの発電所の広大な敷地や防潮堤などを見学した後、お話を伺いました。

 勿論、原子力には複雑な問題が絡み合っていますから、簡単にことの成否を論ずることはできません。が、あえて簡単に要約すると、過去に何回かの津波の被害を経験していた女川では、発電所を作る段階から13メートル以上の津波を想定して、敷地の高さを14,8メートルにかさ上げし、防潮堤も13.6メートルにしていたのだそうです。なるほど、外観は堅固な山城のようです。今回ここを襲った津波は13メートルでした。大変な被害はあったものの、電源は津波から守られ、3基の原子炉は無事に停止したのでした。その後、ここのPRセンターは、住民の避難所になり,3か月間職員と住民が暮らしを共にすることになったのだそうです。

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 過去の被害を踏まえて作った防潮堤が役立たず、大変な被害を受けたことは、報道で何回も紹介されました。が、防潮堤に守られた話はあまり話題になりませんでした。

 遠く過去に遡って考えれば、古代、ここに住んでいた縄文人たちだって、きっと何度も大津波と戦ってきたのに違いないのです。人間の営みの歴史は、自然の驚異から身を守り、いかにして自然を征服するか、その連続だったのでしょう。現代の科学の最先端においても、そんな単純で基本的なことが、最も大切なことであったことを、感慨深く思ったことでした。

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 女川の街には、あちこちの建物の壁に津波の到達線が記されています。13メートルもの水の壁が襲いかかてきた時の恐怖を思い、たくさんの命を呑み込んで、今は静まり返っている美しい三陸の海に天地の安穏を祈りながら、重たい石巻産の鮭の缶詰を復興商店街でたくさん買って、帰途に就いたのでした。

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       女川復興商店街・希望の鐘・祈りの像。