石の舞台古墳です。
飛鳥に行ったら絶対に見たい古墳です。
蘇我馬子の墳墓だと言われています。
今から1350年くらい前、莫大な時間と莫
大な人力とを掛けて作られたものです。
当時飛鳥で絶大な権力を握っていた蘇我
馬子(推古34年・626年没) の面目躍如
たるものがあります。
組み方の見事さや、玄室の広さや羨道部の
美しさは、まさに石の芸術です。
(参考資料から)
この立派な石室、実は作られ当時は土に
埋められていて見えず、古墳の姿をしてい
たのだそうです。それが、権力を争う時代の
歴史の中で、土が掘りかえされ、墓が荒らさ
れ、現代のような姿になったのだと聞きまし
た。たとえそうであったとしても、この石の舞
台だけで十二分に蘇我馬子の権力の大きさ
が感じられます。
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日本のことを、日本人のことを、もっとよく知りた
いと思う若者たちに、是非訪れて欲しい場所です。
本の知識だけでは解らない飛鳥の人々の息づか
いが、身近に感じられるようです。
ヤマトは 国のまほろば
たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし
高松塚古墳から発掘された石槨の壁面には、
青竜・朱雀・白虎・玄武の4神と共に、男子4人と女
子4人の人物像が、鮮やかな色彩で描かれていま
す。 (高松塚壁画館で原寸の再現図が見られます)
ここが、高松塚古墳です。
今から約1500年程前、日本の都は飛鳥にあ
りました。飛鳥は、四方を山々に囲まれたみど
り豊かな地でした。そこに大きな富を持つ豪族
が生まれ、安定した王朝が成立します。権力を
めぐる闘争は耐えませんが、そうした中に、素
朴で伸びやかな飛鳥の文化が花開きます。
春の野を散策する、色彩やかな衣装を着た
男女の飛鳥人の姿を想像してみてください。
万葉集の歌のいくつかが浮かんできます・・。
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1500年の時を隔てた今、飛鳥は古墳の宝
庫になりました。中学校の頃、歴史の教科書で
知った歴代の天皇の墳墓があちこちにあって、
それらが実在の人物であったことを改めて知ら
されます。
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残されているのは古墳ばかりではありません。
丘陵の草地の中に朽ちることなく残っているのが
石で作られてた不思議な「石の像」たちです。
その役割もつくられた目的も不明な石像。
ふと「モアイの石像」を思い出します。古代人
たちは何を思い何のためにこんな石像を創っ
たのでしようか、飛鳥は謎めいたたくさんの不
思議を、無言のまま語りかけます。
この冬、京都・奈良・飛鳥と日本の歴史の舞台を
旅する機会に恵まれました。 その文化を、私たち
の先祖が積み上げてきた物づくりの形で捕らえて
みたいと思います。
奈良の都平城京の軒丸瓦。平城京は、710年に飛鳥の
藤原京から移されました。その屋根の先端の瓦です。
美意識を感じます。最初の型は、粘土で作ります。
組み合わせのカーブの美しさに注目です。
奈良春日大社では、一年に一度、節分の日に
灯篭に明かりをともすのだそうです。午後6時、
広い境内にあるすべての灯篭に蝋燭がともされ
ました。
燈篭につけられた銅版?の模様が、蝋燭の明かりに
照らし出されます。いろいろな祈りを込めてこれを奉納
した昔の人の想いが、今に蘇ります。
どれもこれも、美しい細工です。