あっという間の師走です。枯葉の掃除の忙しい季節になりました。
そんな枯葉に覆われた庭の片隅に薄青紫の竜胆が咲いていました。
今年の異常な暑さで、繊細な花はみんなダメ、セイタカアワダチソウのような逆境に強い花が庭を覆っていました。
なのに師走になって、美しい薄青紫色の竜胆の花が咲き、その傍らにはいつものように野菊の花が咲いていました。
「民さんは何がなしノギクのような人だ・・・」と政男がいう。
民子は野菊のような児であった。全くの田舎風ではあったが粗野ではなかった。
可憐で優しくそして品格もあった。
「政男さんは何がなしリンドウのような人だ・・・」と民子がいう。
伊藤佐千夫の「野菊の墓」の一節、読んだのは確か高校生の頃です。それなのにこの花を見ると今だこの台詞を思い出すのです。
人の感性と言うものは、何かその中心に核のようなものがあって、その核を中心に年月と経験が重なって太っていくのではない
か・・・・なんて勝手のことを想ったりします。
野菊も竜胆も秋の野にひっそりと咲く昔ながらの野の花なのですが、何故か気品の感じられる花なのですね。