陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

ルーシー・リーの時代

2007年01月13日 | 海外の陶芸

Photo_26  しずおかアードギャラリーで、「モダン・デザイン工業とルーシー・リーの時代」という講演をきいた。講師は、東京国立近代美術館の金子賢治氏。

 ルーシ・リーが生まれたのは1902年、当時、ヨーロッパでは、陶土を使って成型し焼成するという「陶芸」は、一般的なものではなかった。焼き物は工業生産される磁器が中心で、モダン・デザインというのは、工業生産される「物」を指しての言葉であった。

 バーナド・リーチは、1920年代に、日本に来て陶芸の技術を学び、窯や土や焼成の方法をイギリスに持ち帰っている。ちょうどその頃、美術学校を卒業し、轆轤のとりこになっていたリーは、本格的に陶芸を始めることになる。しかし、日本のような伝統的な「陶芸」の歴史のないヨーロッパでは、むしろ工業デザイン的な要素が強く、彼女の初期の作品には、そうした影響が強く現れている。

 当時、「バウハウス」は、イギリスの「モダンデザイン」の実践的な場であった。ウイリアム・モリスやマッキントッシュ等、日本でもよく知られている作家が現れ、斬新なデザインの世界を展開する。純粋美術から生まれた応用美術の世界が、華麗に花開いた時代である。当時、ここで作られた「もの」の中には、現代もなお評価の高い製品が多くある。 

 物を部品ごとに分解して生産し接続する、デザイン的な成型の技術や、鉱物の調合による釉薬の開発、そしてモダニズムが生まれ、ハンス・コパーのような作家が現れる。ルーシー・リーは、そのハンス・コパーと14年間もアトリエを共有し、「彼からたくさんのことを教えてもらった」と語っている。

 そんな時代背景の中で生き、制作された彼女の作品を見ると、デフォルメされた大きな口や細くて長い首や、すわりの悪そうな高台の微妙なバランスが、妙に親しみのあるものに見えてくるから不思議である。


ブロンズのボタン

2007年01月09日 | 作品紹介

1_1 金色に輝くブロンズのボタンです。

ルーシー・リーのボタンの試作を、いろいろと繰り返していたら、この「金塊」みたいなボタンができました。(クリックして拡大写真を、よくごらんください。ほんものの金塊?です)

拡大写真をみると、銅の結晶が美しい模様を呈しているのが判ります。

素地は半磁器土。釉薬は、マンガンと酸化銅の混合釉薬。1260度還元焼成。一度目に溶けなくて、二度目の焼成です。

*どなたかこの化学反応の式がお分かりの方、教えてください。


仕事始め

2007年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム

2007.1.4

_042_1 今年は、休みの短いお正月になりました。

本日は、仕事始め。私も、作品展に向けて制作開始です。

_043_2 今、庭の寒椿が満開です。ここの侘助の名は、「太郎冠者」。秀吉が朝鮮から持ち帰った花といわれています。

        

 朝、アトリエに行こうとドアを開けると、何十羽ものヒヨが一斉にバサバサと羽音を立てて飛びあがりました。おびただしい群れが、庭のモチの黒い実を食べにきていたのです。モチの実は余すところなく食い散らされ、残されたのは庭一面の黒い糞。

 庭には、いろいろな鳥がやってきますが、このヒヨの節操のなさには、全くもって怒れます。


謹賀新年

2007年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム

_022_1新年、あけましておめでとうございます。

新しい年が、素敵な年になりますように、お祈り申し上げます。

_028_1 久しぶりに静岡浅間神社に、初詣しました。

神社は初詣の人であふれかえっていました。

あまりにも「平和」な、日本の、静岡の、新年風景ではあります。