BS2で、溝口健二監督の映画「雨月物語」を観た。
場面1
思いがけず、男が轆轤をひいているではないか。傍らで女房が、ハンドルのような棒を手に持って、懸命にろくろを回している。父親の手元がアップ、どんぶりのようなものを挽いている。子どもが、轆轤を回す母親に抱きついて、何かをせがむ。「手をとめるな」と父親が叫ぶ。母親は、子どもを抱えて、なお一生懸命に轆轤を回す。父親がどんぶりをシッピキで切り取る。(役者の手つきがちょっと甘いかなぁ、・・・・・)。
場面2
窯にうつわを詰めている。小ぶりの登り窯のようだ。もう一人の男がうつわを手渡し、もう一人の男が、窯の中でそれを受け取り、窯に詰めていく。女たちは、うつわを載せた棚板を肩にかついで、運んでくる。
場面3
窯焚き。女房がせっせと薪を窯に放り込んでいる。焚き口が横についている。傍らにはまきの束、女がそれを取って焚き続ける。男たちは放心したように地べたに寝転んでいる。
場面4
藁で編んだコモに焼き物をくるんで、船に積む。船は琵琶湖を渡って都へ向かう。夕もやの琵琶湖は霧で霞んでいる。時には、海賊が出て行く手を襲うという。男たちは死に物狂いで、危険を犯して船を進めてる。
場面5
街は人であふれている。路上いっぱいに広がる露天市。焼き物は飛ぶように売れる。腰の袋のお金がどんどん増えていく。美しい女が現われる。
時代は天正11年。戦国の時代である。場所は信楽あたり。(琵琶湖を渡って都に焼きものを売りにいくところから考えて)。
天王寺の乱で織田信長が切られ、柴田の兵や羽柴の兵と、戦乱が絶え間ない。山奥の窯場も戦乱に巻き込まれる。武器のない農民はただ逃げ惑うばかり。窯の火も消えてしまう。
雨月物語は、もともとが妖怪ものである。やがて話は「窯」から離れて、戦乱で滅ぼされた一族の亡霊の話に進展する。それが本筋なのだが、私には、この「焼きもの」の場面が興味深かった。作り方、運び方、売り方、などなど。時代考証もよく考えられているし、画面も美しい。平凡な百姓に飽き足りない男たちが、一攫千金を求めて巷にうろうろしていた時代、焼き物も、そんな男たちの夢をかなえる手段の一つだったのだろう、そんな感じを受けた。
力のある作品である。徹底したリアリズムで画面を構成しながら、そのままの手法で、いつの間にか妖艶な亡霊の世界へと見る人を誘い込む、俳優もなかなかのもの。楽しめた。
再びルーシー・リーに挑戦です。日本の陶芸と外国の陶芸の大きな違いを感じています。
日本の陶芸が自然を素材にしたものなら、イギリスのそれはさながら化学式を並べ立てたような感じ、そう錬金術ですね。 鉛やすずや亜鉛や、ウランまで使って色を作っています。
生活の様式や、食べ物の違い、文化の歴史がこういう違いになってあらわれるのかなー、などと思いながら、今まで使ったこともない金属に挑戦しています。
さぁ、結果はどうなりましょうか。
30度を越すかんかんでりの夏は、陶芸の季節。
朝から一日ががりでせっせと作品を作ってお日様に干す、
その作品というのが半端じゃなくて、
みんな、5キロ10キロという大壷や大皿ばっかり・・・・。
真夏の日光が、粘土で作った壷や皿をスピードで乾燥させてくれる。
仕事の合間に、
ショッチュウみんなでビールを飲んでいたっけ・・・・。
お盆休みからの一週間が窯焚きだ。
仕事のことも、家のこともすっかり忘れて、
朝から晩まで、薪割り、薪運び、窯詰め
汗びっしょりで作業をした。
窯焚きの開始は決まって、夕方、
満潮か干潮の時間にあわせて始まる。
窯にお酒を上げて、二拍二礼して・・・・・。
おもむろに窯の下から火を入れる。
それから五昼夜ぶっ続けの窯焚きだ。
いろりでは、おいしそうな鍋が煮えていて、
酒宴の耐えない窯場だった・・・・・・・。
今日、久しぶりに「大壷」をひいていたら、急に懐かしい窯焚きの思い出がよみがえって来た。真夏の草いきれや、あの煙の匂いと一緒に。
ツクツクボウシがなき始めました。
今朝、庭の掃除をしていたら、桜の木から、「つくつくぼ~うし、つくつくぼ~うし」と蝉の声。
ツクツクボウシが鳴き始めると、夏もおしまいだなー、と感じます。
法事が終わって子どもたちが帰省し、夏休みもおしまいか~と、ちょっとわびしい気分です。
蝉時雨に代わって、虫の声が聞こえてくるのも間近でしょう。
すっかりお休みしてしまった、「ぶろぐ」も、さぁ再開で~す。
突然ですが、タイトルのような講座を立ち上げます。
藤枝市に、おばあちゃん劇団「炎」というのがありました。日常のごくごくありふれた出来事を、おばあちゃんたちがシナリオを書いて、おばあちゃんたちが演じる、それは楽しい劇団でした。映画にもなったのじゃないかしら。
テーマは、高齢化社会を扱ったものが多かったと思いますが、笑いの中にちょっぴりペーソスがあって、思わずほろりとしたものです。
不思議なもので、家で年寄りが愚痴を言っても嫌味にしかならないものを、客観的なベールを通して「演じて見せられる」と、「うん、そうだよね、そういうことなんだよね」とうなずけたりする・・・・・。
ずっと昔、おばあちゃん劇団を取材した時、「いつかあんな劇団私もやってみたい」と思ったことがあるのです。でも当時はまだ若かったから、実感が無かったのですが、今回、ひょんなことからほんの少しの予算がもらえたので、その真似事でもしてみようという次第です。
劇団は無理だから、「寸劇」くらいで、ということで、その入門講座を立ち上げました。本日講師の先生と打ち合わせをしてきました。 実施は、10月から。
お芝居の好きな方、何かを演じてみたい方、ぜひご参加ください。講座は無料です。詳しくはまたお知らせします。