3月29日
昨日の大雨がうそみたいに晴れて、木々がキラキラ輝いています。
本日の「はなだより」。開花は二分くらいかな。これはソメイヨシノ。家の前の桜。
もう一本ある桜は、家の庭に小鳥が運んできたヤマザクラ。こちらは、まだ固い蕾。
3月27日 日曜日
暖かなようきにさそわれて、谷津山に花見に行く人がふえてきました。中には、大きなスチロールの箱をかつぎ上げている人たちもいます。ご馳走がいっぱいはいっているのかしら。
といっても、本日の桜はこんな具合です。ほんの数輪だけ咲き始めました。
写真は、谷津山上り口風景。私はといえば、山の上り口で、門扉のペンキぬりをしていました。
家の前にあるもくれんが咲き始めました。
この木、切る人がいなかったので、年々成長して、ついに天をつくような大木になりました。
青い空に向かって伸びするように花が咲いています。この花が散ると、桜が咲き始めます。
この木、切る人がいなかったので、年々成長して、ついに天をつくような大木になりました。
青い空に向かって伸びするように花が咲いています。この花が散ると、桜が咲き始めます。
しばらく留守にしていたら、ヒトリシズカが、こんなに伸びていました。この花は、もっこりと土を持ち上げた時のようすが可憐でいいのですが・・・・。
やきものの町「常滑」にいってきました。
「常滑」は、いまや「やきものの町」というより「中部国際空港・セントレア」で騒がれている話題の町という方が分かりやすいかもしれません。でも、私の目的は、あくまでも、「やきものの町・常滑」の探訪。
常滑というのは、知多半島の真ん中あたりにある小さな町の名前で、そこで焼かれるやきもののことを「常滑焼」といいます。最近では、朱泥を使った急須や茶器が有名ですが、本命はなんといっても「甕」、それも大甕や土管です。
私が子供の頃には、町のあちこちで、醤油や酒や酢などをいれた茶色の大きな甕を見かけたものです。
それが、常滑で焼かれたものだということを知ったのは、自分がやきものを始めてからのことでしたが、12世紀の終わり頃には、すでにたくさんのやきものを生産するやきもの産地として、日本六古窯の一つに数えられています。(写真1・2は、登り窯とその窯の中)。
海辺の町で焼かれた大きな甕が、船に積まれて海を渡って、日本全国津々浦々まで運ばれていった。それがこの半世紀の間に、いつの間にか時代から取り残されて、消えていってしまった・・・・・・・・。そんなストーリーでしょうか。
とはいえ、今でも、町の中央の小高い丘を中心にやきものづくりは盛んに行われています。
(写真3は、やきもの散策の道・昔の土管や甕が道のオブジェになって、両側から顔をのぞかせている。)
くねくねといりくんだ迷路のような小路を散策していると、いろいろなやきものに出会えます。
小さな工房に立ち寄って、ああだこうだと、やきもの談義を楽しむのも、やきもの好きにはこたえられません。
この町は、今も伝統工芸を守り育てるだけでなく、ものづくりをする若者たちに、さまざまな便宜とチャンスを与えてくれる町だ、とも聞いています。(写真4は、駅のギャラリーでインスタレーションをしている若者たち)
愛地球博、中部国際空港、そして21世紀の超近代的なハイウエイ、そんな中に取り残されたように存在するヨーロッパ中世のギルドの町のような常滑、そんなこの世離れしたノスタルジックな町が、いつまでも元気で消えることなく守り育てられることを、祈らずにはいられません。
「常滑」は、いまや「やきものの町」というより「中部国際空港・セントレア」で騒がれている話題の町という方が分かりやすいかもしれません。でも、私の目的は、あくまでも、「やきものの町・常滑」の探訪。
常滑というのは、知多半島の真ん中あたりにある小さな町の名前で、そこで焼かれるやきもののことを「常滑焼」といいます。最近では、朱泥を使った急須や茶器が有名ですが、本命はなんといっても「甕」、それも大甕や土管です。
私が子供の頃には、町のあちこちで、醤油や酒や酢などをいれた茶色の大きな甕を見かけたものです。
それが、常滑で焼かれたものだということを知ったのは、自分がやきものを始めてからのことでしたが、12世紀の終わり頃には、すでにたくさんのやきものを生産するやきもの産地として、日本六古窯の一つに数えられています。(写真1・2は、登り窯とその窯の中)。
海辺の町で焼かれた大きな甕が、船に積まれて海を渡って、日本全国津々浦々まで運ばれていった。それがこの半世紀の間に、いつの間にか時代から取り残されて、消えていってしまった・・・・・・・・。そんなストーリーでしょうか。
とはいえ、今でも、町の中央の小高い丘を中心にやきものづくりは盛んに行われています。
(写真3は、やきもの散策の道・昔の土管や甕が道のオブジェになって、両側から顔をのぞかせている。)
くねくねといりくんだ迷路のような小路を散策していると、いろいろなやきものに出会えます。
小さな工房に立ち寄って、ああだこうだと、やきもの談義を楽しむのも、やきもの好きにはこたえられません。
この町は、今も伝統工芸を守り育てるだけでなく、ものづくりをする若者たちに、さまざまな便宜とチャンスを与えてくれる町だ、とも聞いています。(写真4は、駅のギャラリーでインスタレーションをしている若者たち)
愛地球博、中部国際空港、そして21世紀の超近代的なハイウエイ、そんな中に取り残されたように存在するヨーロッパ中世のギルドの町のような常滑、そんなこの世離れしたノスタルジックな町が、いつまでも元気で消えることなく守り育てられることを、祈らずにはいられません。
数日前、「うぐいすかな」と思った時は、まだ鶯の鳴き声になっていませんでした。
今朝は、じょうずに「ホーホケキョ」と鳴いています。しかも至近距離からです。あわててカメラを向けたのですが、残念ながら、姿は撮れませんでした。
おとといご紹介した「ヒメコブシ」の花も、今朝は満開です。
春が駆け足でやってきているのが、よく分かります。
今朝は、じょうずに「ホーホケキョ」と鳴いています。しかも至近距離からです。あわててカメラを向けたのですが、残念ながら、姿は撮れませんでした。
おとといご紹介した「ヒメコブシ」の花も、今朝は満開です。
春が駆け足でやってきているのが、よく分かります。
しばらくぶりに庭掃除。
ほったらかしておいた植物が、あちこちで自己主張をしはじめました。
クレマチスの枯れた枝の先に緑の芽がふきだしているのをみつけて、垣根にいわえていたら、
そのしたの植木鉢の中から、桔梗が芽を出しているのを発見、あわててそのあたりの土に鶏糞をまぜていると、そのよこにあるコブシの蕾が、急にかくっと大きくなったのに気がついて、いらない枝を切ったりつめたりしていると・・・・・・、あれれ、庭の山の陽だまりには、春ランが咲き始めているぞ・・・・・・。
「ああぁ、写真をとっておかないと・・・・・・」、
次から次へと、目に付くものに気をとられて、仕事はみいんな中途半端。これから忙しくなりそうな、我が家の庭の「春」の始まりです。
*ちょっと、窯探訪に行ってきたのですが、その記事はまた後日。本日の写真はシュンラン、ヒメコブシ
ほったらかしておいた植物が、あちこちで自己主張をしはじめました。
クレマチスの枯れた枝の先に緑の芽がふきだしているのをみつけて、垣根にいわえていたら、
そのしたの植木鉢の中から、桔梗が芽を出しているのを発見、あわててそのあたりの土に鶏糞をまぜていると、そのよこにあるコブシの蕾が、急にかくっと大きくなったのに気がついて、いらない枝を切ったりつめたりしていると・・・・・・、あれれ、庭の山の陽だまりには、春ランが咲き始めているぞ・・・・・・。
「ああぁ、写真をとっておかないと・・・・・・」、
次から次へと、目に付くものに気をとられて、仕事はみいんな中途半端。これから忙しくなりそうな、我が家の庭の「春」の始まりです。
*ちょっと、窯探訪に行ってきたのですが、その記事はまた後日。本日の写真はシュンラン、ヒメコブシ
田中裕子主演、高橋伴明監督の、映画「火火」を観て来ました。
やぁ、重たい映画でした。
信楽焼きの女流陶芸家神山清子がモデルだと聞いて、焼き物作りの映画だと思っていたのですが、
ストーリーの大部分は、白血病の息子をめぐる闘病と、骨髄提供者のドナーバンク設立にかかわるものでした。
しかし、話を支える舞台がなんといっても信楽だし、窯焚きや工房や背景の町のあちこちに、はっとするような発見があって、楽しめました。「穴窯」による「自然釉」の作品作りも、自分の経験していることなので、ディテールのすみずみにまで思わず感情移入しちゃいましたねー。
それにしても田中裕子演じる陶芸家のおばちゃんのすざまじさ・・・、あっとうされます。
土と一体になるとはどういうことか、すごい演技力です。
映画全体のテーマは重く、阿修羅のような生き方に共感しながらも、神様はどこまでむごく、人に試練を与えたもうのかと、切なくなりました。
やぁ、重たい映画でした。
信楽焼きの女流陶芸家神山清子がモデルだと聞いて、焼き物作りの映画だと思っていたのですが、
ストーリーの大部分は、白血病の息子をめぐる闘病と、骨髄提供者のドナーバンク設立にかかわるものでした。
しかし、話を支える舞台がなんといっても信楽だし、窯焚きや工房や背景の町のあちこちに、はっとするような発見があって、楽しめました。「穴窯」による「自然釉」の作品作りも、自分の経験していることなので、ディテールのすみずみにまで思わず感情移入しちゃいましたねー。
それにしても田中裕子演じる陶芸家のおばちゃんのすざまじさ・・・、あっとうされます。
土と一体になるとはどういうことか、すごい演技力です。
映画全体のテーマは重く、阿修羅のような生き方に共感しながらも、神様はどこまでむごく、人に試練を与えたもうのかと、切なくなりました。
今日は、久しぶりに雨になりました。
この雨で、桜のつぼみも、一気に脹らむことでしょう。
また、春が巡ってきて、万物の誕生の季節になりました。
私は、四季の中で「春」がいちばん好きです。
ちょっと見ない間に、つぼみが脹らみ、芽が伸び花が咲き、命が生まれ出てくる、それら、あらゆるものたちの命の華やぎが、好きです。
忙中の閑ではなく、静かな日常の中のつかの間の「忙」をおえて、ほっとしています。
3月3日から8日までの間に、200名近くの来訪者をお迎えしました。
千葉や東京、京都からわざわざきてくださった友人、何かしでかすたびに応援してくださる高校時代の同級生やコミュニティの仲間たち、迷惑ばかりかけているのに、黙って手伝ってくれる家族や身内、これがきっかけで何十年ぶりかに再会した友人、ふと立ち寄ってくださった見知らぬ人たち、そして、大切なスタッフ、 みなさん、ほんとうにほんとうにありがとう。
ものごとには、ひとつのエポックをつけることで見えてくるものがあります。
それは、自分自身の生きている位置だったり、自分では気がついていなかった自分の個性だったり、自分の手を離れて初めて見えてくる自分の作品のほんとうの姿だったり・・・・・・。まだ、陶芸という奥深い世界の入り口に立ったばかりですが、これからしていかなければならないいろいろな事柄が、みえてきたように思います。また、次の春に向けてがんばろうと思います。今後ともよろしくご指導ご鞭撻くださいますよう・・・・・。 いろいろありがとうございました。 *写真は、雨に煙る谷津山ののぼり口。もうじき桜が。
この雨で、桜のつぼみも、一気に脹らむことでしょう。
また、春が巡ってきて、万物の誕生の季節になりました。
私は、四季の中で「春」がいちばん好きです。
ちょっと見ない間に、つぼみが脹らみ、芽が伸び花が咲き、命が生まれ出てくる、それら、あらゆるものたちの命の華やぎが、好きです。
忙中の閑ではなく、静かな日常の中のつかの間の「忙」をおえて、ほっとしています。
3月3日から8日までの間に、200名近くの来訪者をお迎えしました。
千葉や東京、京都からわざわざきてくださった友人、何かしでかすたびに応援してくださる高校時代の同級生やコミュニティの仲間たち、迷惑ばかりかけているのに、黙って手伝ってくれる家族や身内、これがきっかけで何十年ぶりかに再会した友人、ふと立ち寄ってくださった見知らぬ人たち、そして、大切なスタッフ、 みなさん、ほんとうにほんとうにありがとう。
ものごとには、ひとつのエポックをつけることで見えてくるものがあります。
それは、自分自身の生きている位置だったり、自分では気がついていなかった自分の個性だったり、自分の手を離れて初めて見えてくる自分の作品のほんとうの姿だったり・・・・・・。まだ、陶芸という奥深い世界の入り口に立ったばかりですが、これからしていかなければならないいろいろな事柄が、みえてきたように思います。また、次の春に向けてがんばろうと思います。今後ともよろしくご指導ご鞭撻くださいますよう・・・・・。 いろいろありがとうございました。 *写真は、雨に煙る谷津山ののぼり口。もうじき桜が。
本日、無事に「朝」展を終了することができました。
詳しいご報告は、あらためてさせていただきますが、まずはみなさまにお礼申し上げます。
作品展を終えてあらためて、たくさんの方々に、支えられて生きているのだ、と実感しています。
ご来場くださいましたみなさま、影で支えてくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。
ごたごたと、あわただしい日々が続き、更新がおろそかになってしまいました。ごめんなさい。
いよいよ明日から、陶芸工房「朝」展です。
本日、搬入をすませました。
会場は、静岡市の中心街、呉服町の真ん中にある「ワタナベカメラのギャラリー」です。
とても素敵な会場です。
みなさまのお越しを、会場でお待ちしています。
いよいよ明日から、陶芸工房「朝」展です。
本日、搬入をすませました。
会場は、静岡市の中心街、呉服町の真ん中にある「ワタナベカメラのギャラリー」です。
とても素敵な会場です。
みなさまのお越しを、会場でお待ちしています。