日本平ホテルは、駿河湾沿岸にある有度山(307メートル・通称日本平)の山頂にあります。
このホテルのロビーからは、駿河湾・清水港・富士山・伊豆半島が同時に見わたせます。
日本一美しいといわれる富士山の眺望も楽しめます。
日本平ホテル1Fロビーから見た駿河湾と清水港と富士山
ここで、「聞かせて、キーン先生」というタイトルの講演会がありました。95歳になられたドナルド・キーンさんのお話と、キーンさんと養子縁組をされた息子、キーン・誠己さんの古浄瑠璃演奏を聴くというものです。 熱のこもった格調の高い古浄瑠璃の演奏と、ドナルド・キーンさんの日本に対する深い理解と想いとが語られ、現代の日本人が失ってしまった「日本の精神」のようなものを思い起こさせました。私たちが見過ごし通り過ぎてきてしまったものを見落とさないのは、外国人の目だからこそかもしれません。
古浄瑠璃の掘り起こしについて、キーンさんは「東京下町日記」の中で、こう記しています。 「古浄瑠璃と英国との縁」の中から少し抜粋させていただきます。
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人形浄瑠璃文楽の源流とされる古浄瑠璃の「弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」が今年六月、ロンドンの大英図書館で上演された。三百年以上も前に書かれた御伝記の台本は日本には残っておらず、同図書館に一冊あるだけ。その世界に一冊の台本を基に、七年前に日本で復活上演された御伝記がロンドンに凱旋(がいせん)したのだ。私はこの上演計画に深く関わっていて、感慨はひとしおである。
古浄瑠璃とは、近松門左衛門が活躍する以前の江戸時代初期に、庶民に人気だった人形芝居。素朴な力強さや宗教色が強いことが特徴だ。演劇性が高い近松作品の義太夫節が人気になると、古浄瑠璃は廃れ、台本も保管されなかったようだ。
ところが、1962年、御伝記は意外な場所で見つかった。大英博物館の図書館(現大英図書館)だ。発見者は、英ケンブリッジ大学に教えに行った早稲田大学名誉教授の鳥越文蔵さん。依頼されて調べたところ、日本にはない台本と気付いたのだ。 日本が海外交流を制限していた江戸時代、御伝記を国外に持ち出すことはご法度。なぜ、ロンドンにあったのだろうか。調べると、長崎・出島に渡来したドイツ人医師ケンペルが、十七世紀末に離日する際に土産物として持ち帰ったようなのだ。それが、ケンペルの死後、大英博物館の所蔵物となった。だが、当時の学芸員は日本語を読めず、御伝記は中国の文書と一緒に倉庫に収められていた。鳥越さんに見いだされなければ、今も倉庫に眠っていたかもしれない。
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そうして発見された古浄瑠璃を、復活上演させたのがキーンさんと養子縁組をしたキーン・誠己さんと猿八座でした。この古浄瑠璃が縁で、キーンさんと浄瑠璃奏者の誠己さんは、親子の縁を結ぶ事になったのだそうです。何だか、古典的な美学を感じます。
三味線を弾きながら語られる古浄瑠璃は、今まで見たり聞いたりした人形浄瑠璃とは一味違う力強いものでした。大胆な三味線のばちさばき、骨太な力強い語り口、洗練され繊細になっていった浄瑠璃とは違う、大胆な力強さがありました。
そんな古浄瑠璃を語るキーンさんの息子は、95歳になられた日本文学の生き字引の様なキーンさんを、「お父さん」と呼んでいたわる。その姿は、さながら古浄瑠璃の中の「父と子」の姿のよう、心あたたまる楽しい対談でした。
講演が終わってふと外を見ると、こんな結婚式のカップルの姿が ・・・・。
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「世界中に人形劇はあるが、ほとんどは子ども向け。浄瑠璃のような文学性、芸術性が高いものはどこにもない。アニメといったソフトを「クール・ジャパン」と呼び、輸出するのも悪くはないが、そのはるか昔から日本には世界に誇るべき古典芸能があったのだ」(ドナルド・キーン)
「い や、日本のアニメの源流には、浄瑠璃人形のDNAが生きているのかもしれない」、と思ったのでした。
蛇足ですが、 キーンさんは終戦後、日本からアメリカに帰る船上で、「ピンク色の富士山を見ました。その富士に、もう一度日本に来れますようと祈りました。そうしたら願いがかなったのです」と話しておられました。ピンク富士に願いをかけてみるのはいかが?