陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

静岡県工芸美術展が始まりました

2017年11月29日 | 展覧会

 恒例の静岡県工芸美術展が、下記のように開幕しました。

会期        平成29年11月30日~12月3日

会場   静岡県立美術館    県民ギャラリーA・B

 

 

この展覧会は、静岡県下の工芸を志す人たちの作品を一堂に集めて、毎年行われるものです。

作品は、会員の作品と、一般からの公募作品とに分かれています。が、いずれも力作です。

今年は、一般公募の中から「陶芸工房 朝」の仲間の作品が2点入選しています。

日本平山麓の美術館へのプロムナードは、まだ美しく紅葉しています。ぜひお出かけください。

*

ちなみに、上記ポスターは、私の去年の作品、今年の作品も展示されています。

 


日本平ホテルとキーンさんと古浄瑠璃

2017年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

  日本平ホテルは、駿河湾沿岸にある有度山(307メートル・通称日本平)の山頂にあります。

 このホテルのロビーからは、駿河湾・清水港・富士山・伊豆半島が同時に見わたせます。

日本一美しいといわれる富士山の眺望も楽しめます。

 

 日本平ホテル1Fロビーから見た駿河湾と清水港と富士山

 

  ここで、「聞かせて、キーン先生」というタイトルの講演会がありました。95歳になられたドナルド・キーンさんのお話と、キーンさんと養子縁組をされた息子、キーン・誠己さんの古浄瑠璃演奏を聴くというものです。  熱のこもった格調の高い古浄瑠璃の演奏と、ドナルド・キーンさんの日本に対する深い理解と想いとが語られ、現代の日本人が失ってしまった「日本の精神」のようなものを思い起こさせました。私たちが見過ごし通り過ぎてきてしまったものを見落とさないのは、外国人の目だからこそかもしれません。 

 

 

  古浄瑠璃の掘り起こしについて、キーンさんは「東京下町日記」の中で、こう記しています。     「古浄瑠璃と英国との縁」の中から少し抜粋させていただきます。

 *

 人形浄瑠璃文楽の源流とされる古浄瑠璃の「弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」が今年六月、ロンドンの大英図書館で上演された。三百年以上も前に書かれた御伝記の台本は日本には残っておらず、同図書館に一冊あるだけ。その世界に一冊の台本を基に、七年前に日本で復活上演された御伝記がロンドンに凱旋(がいせん)したのだ。私はこの上演計画に深く関わっていて、感慨はひとしおである。

 古浄瑠璃とは、近松門左衛門が活躍する以前の江戸時代初期に、庶民に人気だった人形芝居。素朴な力強さや宗教色が強いことが特徴だ。演劇性が高い近松作品の義太夫節が人気になると、古浄瑠璃は廃れ、台本も保管されなかったようだ。

 ところが、1962年、御伝記は意外な場所で見つかった。大英博物館の図書館(現大英図書館)だ。発見者は、英ケンブリッジ大学に教えに行った早稲田大学名誉教授の鳥越文蔵さん。依頼されて調べたところ、日本にはない台本と気付いたのだ。 日本が海外交流を制限していた江戸時代、御伝記を国外に持ち出すことはご法度。なぜ、ロンドンにあったのだろうか。調べると、長崎・出島に渡来したドイツ人医師ケンペルが、十七世紀末に離日する際に土産物として持ち帰ったようなのだ。それが、ケンペルの死後、大英博物館の所蔵物となった。だが、当時の学芸員は日本語を読めず、御伝記は中国の文書と一緒に倉庫に収められていた。鳥越さんに見いだされなければ、今も倉庫に眠っていたかもしれない。

*

  そうして発見された古浄瑠璃を、復活上演させたのがキーンさんと養子縁組をしたキーン・誠己さんと猿八座でした。この古浄瑠璃が縁で、キーンさんと浄瑠璃奏者の誠己さんは、親子の縁を結ぶ事になったのだそうです。何だか、古典的な美学を感じます。

  三味線を弾きながら語られる古浄瑠璃は、今まで見たり聞いたりした人形浄瑠璃とは一味違う力強いものでした。大胆な三味線のばちさばき、骨太な力強い語り口、洗練され繊細になっていった浄瑠璃とは違う、大胆な力強さがありました。

  そんな古浄瑠璃を語るキーンさんの息子は、95歳になられた日本文学の生き字引の様なキーンさんを、「お父さん」と呼んでいたわる。その姿は、さながら古浄瑠璃の中の「父と子」の姿のよう、心あたたまる楽しい対談でした。

 

   講演が終わってふと外を見ると、こんな結婚式のカップルの姿が ・・・・。

 *

  「世界中に人形劇はあるが、ほとんどは子ども向け。浄瑠璃のような文学性、芸術性が高いものはどこにもない。アニメといったソフトを「クール・ジャパン」と呼び、輸出するのも悪くはないが、そのはるか昔から日本には世界に誇るべき古典芸能があったのだ」(ドナルド・キーン)

  「い や、日本のアニメの源流には、浄瑠璃人形のDNAが生きているのかもしれない」、と思ったのでした。 

 蛇足ですが、 キーンさんは終戦後、日本からアメリカに帰る船上で、「ピンク色の富士山を見ました。その富士に、もう一度日本に来れますようと祈りました。そうしたら願いがかなったのです」と話しておられました。ピンク富士に願いをかけてみるのはいかが?

                                                                            


竜胆の花咲けり

2017年11月10日 | 野草

  あしもとのりんどう一つ二つひらく      山頭火

山路を歩いている山頭火の目に、ふと足元にひっそりと咲いている竜胆の花が映ったのでしょう、竜胆の花はたくさんある蕾が一つずつ開きます。竜胆の薄紫色の花に向ける山頭火の優しいまなざしが感じられるような気がします。

 

 

清少納言は

「りんどうは、枝さしなどもむつかしけれど こと花どもの  みな霜枯れたるに  いとはなやかなる色あひにて さきいでたる  いとをかし」

と枕草子の中で言っています。霜はまだですが、草花が枯れて赤い実の目立ち始めるこの季節、竜胆の鮮やかな紫は「いとをかし」の対象だったのでしょう。

 

 

竜胆は若き日のわが挫折の色(田川飛旅子)

「竜胆の色」はどんな「挫折」の色なのでしょうか、深読みがしたくなります。

かみあわぬ  空しき言の葉   秋竜胆

     

  

 


穴窯で志野茶碗を焼く

2017年11月01日 | 陶芸

美濃の上質の志野土を使い、上質の長石で釉を作り、穴窯で焼成した茶碗です。

 

志野釉がじわっと溶けて鬼板の上を流れ、優しい景色を作り上げています。

*

  焼き物の中でも「志野は難しいもの」とされています。何が大変かと言って、焼成にとても手間暇ががかかるのです。長時間をかけてじわじわと1280度まで温度を上げ、焼成が終わると、今度はさらに長時間をかけてじわじわと温度を下げる「徐冷」が必要です。四~五昼夜かけて薪を炊き、炊き終わったら、自然に温度が下がるまで十日ほどじっと待つ。この焼成には、古来からの穴窯が最も適しています。昔からの伝統的な窯炊きの技法です。

*

私の窯ではこの志野の焼成は難しいのです。が、「穴窯を炊くよ」という知人からのお誘いに便乗して、今回、教室のみんなで、志野茶碗に挑戦しました。

 

  穴窯は、静岡市の奥地、藁科川の上流の山の中にあります。くねくねと曲がった山道を、車で上まで登り、峠付近からさらに細い私道を下ったところに、Sさんの窯場があります。

 

今日は、その穴窯の「窯あけ」でした。  

                                     

 穴 窯の中です。中央に今回焼成して頂いた茶碗も見えます。

窯主のご好意で、作品を取り出しているところです。

  

 

  ゆっくりと時間を掛けて炊きあがったほっこりした志野茶碗。志野というより、鬼板(おにいた)から流れ出た鉄分が志野釉と溶け合って、絶妙な色合いを作り出しています。こういう自然な色合いは、作ろうとしても、なかなか作れるものではありません。

 現代では、陶芸窯も進化して、電気でも灯油でも 自在に温度調整ができ、還元もかけられます。釉薬も多種多様なものが出回って、何でもありの時代です。でも、土と炎の創りだす自然の力には、なかなかかないません。

 

 

  ひと時代昔、窯を焚く煙突の煙があちこちで見られたものです。が、今では、焚き火をしただけでも消防署に通報がくるといいます。「薪で窯を焚く」という行為そのものが、「特別なこと」「贅沢なこと」になりました。穴窯は陶芸家のあこがれですが、窯を焚くためには、人里離れた山の奥に入らなけらばなりません。しかも、一年に一度か二度焚くのが精いっぱい、といいます。

「薪窯を焚く」なんてことは、誰にでもできることではありません。でも、土をこね、薪を焚き、火と対峙する、この原始的で本質的なものづくりこそが、遠く縄文の人々から続く「人が生きる」ということの原点のように思えるのです。