昨日は2本だけだったサフランが、今日はみんな揃って一斉に咲いています。
花は一日で萎れてしまいますが、一株に2本の花をつけているものもあります。
それにしても、1gの乾燥サフランを採ろうとしたら、数百本ものサフランが必要でしょうね。
どうやってサフラン栽培やメシベの採集をするのかしら? と思っってウイキペディアをみたら、こんな写真がありました。
何だかとっても優雅な感じがしますね。
昨日は2本だけだったサフランが、今日はみんな揃って一斉に咲いています。
花は一日で萎れてしまいますが、一株に2本の花をつけているものもあります。
それにしても、1gの乾燥サフランを採ろうとしたら、数百本ものサフランが必要でしょうね。
どうやってサフラン栽培やメシベの採集をするのかしら? と思っってウイキペディアをみたら、こんな写真がありました。
何だかとっても優雅な感じがしますね。
早くも11月です。
秋晴れの心地よい朝です。サフランの花が咲きました。美しい薄紫色です。
それにしてもだらんと垂れたメシベの長いこと! どうしてこんなに長いメシベが要るのか、何かの役に立っているのかは知りません。が、このメシベを乾燥させたものがサフランライスの黄色の染料であり香辛料でもあることは知っていました。
で、毎年メシベを採っては乾燥させていました。
写真上が、出来上がった私の乾燥サフランです。下は先ほど摘んできた今年のメシベです。
乾燥サフランは世界一高価な香辛料だと聞いたので調べてみたら、1gが最高1890円でした。
いつになったら1gが取れるのか、サフランライスが炊けるのはいつの日でしょうね。
庭の片隅にセキヤノアキチョジが咲いていました。繊細なガラス細工のような薄紫色の花です。
お昼頃、庭の水瓶にジョウビタキが水を飲みに降りてきました。秋になるとやってくる常連です。
水瓶の中では今年もヒメダカが元気に泳いでいます。世代交代がうまくいっているようです。
フジバカマの花の周りには今日も二頭のアサギマダラが舞っています。
この小さな世界の中で、さまざまな命が、さまざまな姿で、その生を全うしています。
さわやかな秋の空 神空にしろしめす 世は全て事もなし・・・・
木も草もしづかに梅雨ははじまりぬ 日野草城
梅雨に入るのは六月の初旬から中旬、というのが普通なのに、今年は例年よりも半月も早い梅雨入りです。梅雨というより梅雨前線が停滞しているとかで、大雨がつづきました。気が付くと、草も木も一斉に大きくなった感じで、季節を先取りしてホタルブクロも咲き始めました。
ホタルブクロは山野に自生するキキョウ科の多年草で、六月頃、大型の釣鐘状の白または淡紫色の(内側に紫斑のある)花を咲かせます。この花に蛍を入れて遊んだことから「ホタルブクロ」の名がつけられたとのこと。
下から覗いてみると、中は、美しい装飾を施した小部屋のようです。蛍の季節にこんな花が咲くことの不思議をつくづくと思います。夜、この花が本当に光っていたら、本当のお伽噺の世界です。木も草も花も・・・、おおらかで豊かです。
ゴールデンウイークだというのに、二年続きの何処にもいけない 誰も来れない 。しかたなく、去年と同じように、近くの谷津山を散策しています。
登り口の近くには、今、白いウツギと薄い空色のコアジサイがきれいに咲いています。
白い花がウツギ。枝ごと垂れ下がっているのと、枝からさらに小枝に分岐しているのがありますが名前の違いは分かりません。「ウツギ」のことを「卯の花」とも言いますが、「卯の花」は「おから」のことでもあり、白い卯の花の塊から逆に名づけられたようです。
新緑を背景にした白い花は、みずみずしくきれいです。この卯の花を食草にしている蝶がトラフシジミ。同じウツギでも、ウラジロウツギを食草にしているのが「ムラサキシジミ」で、ムラサキシジミは紫の美しい蝶だと、昔教えられたことを思い出します。
山で出会う植物たちは、人の手で植えられたリ育てられたりしたものではなく、ごく自然に生きているように見えますが、そこには不思議な命の連鎖があったり、大自然の摂理と繋がっていたりして、時々驚かされます。
山道を登っていくと、山の斜面に「コアジサイ」の花が咲き始めていました。紫陽花の一種ですが日本古来の原産種で、「関東以西、四国、九州地方では自生種も珍しくないが、栽培は困難である(ウイキペデイア)」とのことです。紫陽花と比べるとずっと地味な花です。
ここのコアジサイは、数年前から山を掃除していたおじさんが、大井川の上流・笹間から持ってきて植えたものです。派手な改良種の紫陽花と違って、万葉の頃にでも戻ったような素朴な薄い空色をしています。
周りに大きな花を持っている「ガクアジサイ」と違って、全体が小さな小さな花の集合体です。もしかすると、この原種が改良されて、華やかな現代の色とりどりの紫陽花が生まれたのかもしれません。
*こちらは、2021年5月の谷津山から見降ろした静岡市街です。
自然は、いつの時代にもそれらしく周りの環境に馴染んでいます、だから「自然」なのでしょうか?
私たちを大きく包み込んでくれる自然ですが、いつの間にか、家も、自分も、庭も、それなりに老いて、自然と同化していくのを感じます。昔はバラやランも好きだったのですが、最近では食卓に活ける花も山野草になりました。
背をいっぱいにのばして 思いっきり晴れやかに咲いている、その姿、その色、そのつつましやかな美しさに思わず足を止め、見とれてしまう朝のひとときです。
タツナミソウです。花びらが波のように連なり下降する様が「立つ波」を思わせるからのネーミングとか。
同じタツナミソウでも「白色タツナミソウ」です。木の下の雑草に交じって咲いている雑草仲間ですが、緑の草原の中から立ち上がる波のような姿が、北斎の「波」の絵を思い起こさせます。
黄色い小さな花はキンポウゲの仲間、ほっておいても毎年出てきて鮮やかな黄色で存在を示す、可愛いヤツです。
小柄で細っそりとした茎が風にそよいでいるカラマツソウです。地味な白い花が可憐ですが、知らない人は見過ごしてしまいそうな草です。
*
今まで、ブログに上げる写真はカメラでとっていたのですが、今回はスマホの写真です。最近はスマホの方がカメラの精度も高く手早く撮れて便利だと言われて、スマホ写真に挑戦してみました。スマホからパソコンに簡単に写真が送れるのも便利です。遅ればせながらのスマホデビュウーです。
連日の35度を超える猛暑、みんな生きているのがやっと! そんな毎日が続いています。
今、秋の展覧会に向けてオブジェの制作に取り掛かっています。早朝に仕事を開始し、真昼の熱い時間はお昼寝、日が陰ってから再び仕事を再開する、それが粘土を乾燥させながらの成形には格好のスタイルです。
夕方、山に散歩に行きました。道端にふわっとベールをかぶせたように咲いている仙人草を見つけました。曲がりくねった葉柄で木や草に絡みつき、パッと開いたオシベを十字形の白い萼が取り囲んだ白い小さな花の群れは、仙人ならぬ天使のイメージです。
数年前、家の庭に植えたらやたらと増えて始末に負えなかった経験があるのですが、山野の自然の中でみる仙人草は、なかなかの美しさ。思い立って一つる手折って持ち帰り、ガラスの壺に活けてみました。
道端の仙人草を活けにけり
逝きし人多き この年 大地より 花あふれたり
ジュウニヒトエ
カラマツソウ
ムラサキサギゴケ
キンポウゲ
スミレソウ
いろいろなことがあっても、そんなのあたりまえのこと・・・
あちこちからあたりまえのように出てきて、今年もあたりまえのように咲いている
庭の小さな小さな花たちです。
ふと見れば 白い蝶かと 花の舞う
クリスマスローズが咲いて、バイモユリが咲いて、
コブシの花が咲いて、レンギョウの花が咲いて、
そして サクラの季節になりました。
さくらの花の下を覆うように、錨草(イカリソウ)が咲き始めました。
錨草(イカリソウ) 花がこんがらかって咲いている 清崎敏郎
花たちの出番が決まっているように、
二輪草も、一輪は高く相棒の一輪は低く 決まった序列を守っています。
いつものところに いつものように 二輪草
時は春
日は朝(あした)
朝(あした)は7時
かたおかに露満ちて
揚げ雲雀名乗りいで
神 空にしろしめす
世はすべてこともなし
*
平成という時代が終わろうとしています。
野も山も木も花も、そして あなたもわたしも みんなが変わりなく すこやかでありますように。
もものふの八十乙女らが挹(く)みまがう寺井の上の堅香子の花
(万葉集巻19)
堅香子(カタクリ)の花が咲きました。
といっても、うちのカタクリは黄色のカタクリ、西洋カタクリというらしいのです。
数年前、花屋でカタクリの球根を買って植えたのですがなかなか咲かず、
5年ぐらいが経って、ようやく1本が花をつけました。
上記の万葉集に読まれている堅香子(カタカゴ)は、日本古来の淡紅色のカタクリです。
堅香子は、ユリ科の植物で傾いた籠のように花が下向きに咲くことから名づけられたとも言われます。
慎ましくうつむき加減に咲く花の、反り返った花びらには、春を迎えた喜びがあふれているようです。
黄色のカタクリも、その姿形は淡紅色のそれと同じく可憐です。
かたくりは耳のうしろを見せる花 川崎展宏
ほんとうの春が来たみたいなあたたかな朝でした。
びっくりしたのか、どこからか黄色い蝶が出てきました。
あわててリュウキンカも黄色い花を咲かせました。昨日までつぼみだったのに。
マンサクの木は、みんなよりちょっと前から 黄色い花で虫たちをよんでいました。
いよいよ黄色の季節の始まりです。
山法師が葉を落とし、姫沙羅も葉を落とし、こぶしの木も、すっかり裸になったと思ったら、
脇役だった下草の万両が、急に華やぎ始めました。
これは水鉢のわきで。
これは山法師の木の下で。
これは、庭の片隅の壺の横で。
これは、普段気にも留めない垣根の脇で。
赤い実は、どれもみんな小鳥が運んできたものです。
正確に言えば、小鳥の食べた 実が小鳥のふんの中に入っていて、
それが自然に発芽して、いつの間にかわが家の住人になっていたということ。
お正月が過ぎる頃には、赤い実はふたたび小鳥たちのお腹に入って、どこか遠くに旅をする,
まったく、自然の摂理の見事さには舌を巻きます。
赤い実のひたすらあかし冬至かな
日ごとに日暮れが早くなって、夕方五時にはもう真っ暗です。
日暮れの早さは何気に物悲しく迫りくる冬を予感します。
若いころには感じなかった人生への哀感と重なります。
秋の終わりを象徴する花、「りんどう」が咲きました。
ほの暗い草叢の中に、ほのかな紫色が浮かんでいます。
りんどう咲き むらさきの風 吹きにけり
つれづれの 秋の夜長を 仏彫る
うちの庭の竜胆(りんどう)です。
ここのところ、仏像を彫りたいと思いたち、
その練習のつもりで、小箱に花の模様を彫り始めました。
その模様というのが、新羅時代 (奈良時代前期650年頃) のもので、
朝鮮半島で出土された瓦に彫られた、なかなかかわいいデザインなのです。
t
(慶州臨海殿跡出土・発見された珠文帯縁複弁蓮華文)
書き写して彫り始め、さて、中心からマッチ棒のように突き出しているのは何? と気になったのです。
で、庭のシュウメイギクで調べてみました。(下の写真)
どうでしょう・・・、雄蕊を取り囲む雌蕊のようすも、それを取り巻く花弁のようすも、
なんと新羅の瓦の模様とそっくりではありませんか!
ウイキペディアによると、シュウメイギクは、古い時代に中国からやってきた帰化植物だとか。
それなら、当然新羅時代の朝鮮半島をも通過してきたでしょう。
そして、その間にも、たくさんの人に愛でられ、何かの模様になっていても不思議ではありません。
新羅の瓦職人が、じっと花を観察しながら図案を作っている様子が、目に浮かびました。
1500年以上も昔の瓦なのに、親しみがわいてきて、古代人と握手をしたような気になったのです。
遠い日に 仏とともに渡り来し 秋明菊の 花の明るき
*(ところが、仏像に使われる花はハスの花に限られ、寺院の瓦の模様も「蓮華文」とのこと、
シュウメイギクではなさそうなのです。残念!!)