材 料:米・かまぼこ・粉末だしの素
分量はすべて適当です。お気楽に。
作り方:
1.米を炊く時に、細かく刻んだかまぼことだしの素を一緒に炊きます。
水は少し多めに入れてください。
2.これを手塩でおにぎりにし、冷めた頃に食べてください。
魚のだしで炊いたようなご飯になり、
鯛の姿を思い浮かべながら食べると、まさに鯛飯。
竹輪や他の練り物では、まったく違う味になります。
< おまけ >
私は時々、嫁はんに
「ちいせぇ男やなぁ~」と言われることがあります。
罪な男だぜ!
何、言うとんねん!
たとえば、
「私はチャーシューメンを注文できない」という話。
人生54年間に、
チャーシューメンを頼んだことは、1回こっきり。
手に汗を握り、心臓をバクバクさせ、
めっちゃ勇気を振り絞って、
「チャ、チャ、チャーシューメンをください」
と言ったんです。
その時のどきどき感がトラウマになり、
それ以来食べたことがありません。
どうして、注文できないのかって?
チャーシューメンって、
すんごぉ~~~~~~~く贅沢だと思いませんか。
ラーメンだってチャーシューは入っています。
とりあえずは食べられるんです。
なのに、150円とか200円とか、
上乗せするんですよ。
そんな贅沢って、ありますか。
そりゃあ、食べたいですよ。
麺が見えないほど、
ずら~~~~~り並んだチャーシューには憧れます。
チャーシューの食べるタイミングで
悩むこともありません。
夢のようです。
ラーメンだと、いつ食べるべきか迷ってしまいます。
とりあえずはスープを飲んで、麺をすすって、
次にいきたいところだけど、
ここは我慢して、メンマを食べる。
また、麺をすすり、「ここか?」と悩みながらも、
まだまだ早いと自分に言い聞かせ、ナルトをパクッ。
また、スープ。
麺を噛み締め、
「さぁ、いよいよかな?」と箸を伸ばすが、
「待てよ、2枚しかないチャーシューを
ここでいっては、後が淋しくならないか」と、
冷静になるものの、
「ここでいかなければ、他のお客さんから、
“セコい”と思われるかもしれないなぁ~」と、
食べる理由をつけて、エイヤァー! と、
3分の1ほどを噛んでみます。
自分でもセコい食べ方だとは思うが、
後のことを考えると仕方がない。
たとえ3分の1でも、幸せを感じる瞬間です。
こんな感じで、ラーメン1杯に疲労困ぱいしながら、
食べ進んでいくのは、なかなか楽しいけれど、
辛いものもあります。
そして、フィニッシュを迎える時に、
ほんの少し空しさを感じるんです。
チャーシューは最後にしたい。
でも、それはあまりにもセコい。
誰かに知られては、
人生に汚点を残すことになります。
だから、最後はスープにしなければならない。
無念!
だったら、その前がチャーシューになるのか?
いや、それではスープを飲んでいる時に、
チャーシューが透けて見えてしまう。
他のお客さんに気づかれるので、
麺は残しておかなければならない。
なので、スープの前は麺になります。
つうことで、その前がチャーシュー。
あぁ~、最後から3番目。
これでは、食後の印象が薄くなる。
チャーシューメンを頼めば、
こんな面倒なことを考えなくてもいいんです。
いきなりチャーシューを食べる、
という暴挙に出ることもできます。
最後から3番目に食べても、
途中でたくさん食べているから、
印象は強く残っています。
幸せを感じながら、箸を置くことができるんです。
でも、ドンドンドン(机を叩く音)、頼めない。
貧乏人として生きていると、
贅沢を知るのが恐いんです。
150円、200円で、
他に何が買えるかを考えてしまうんです。
チャーシューは少ないからこそ、
有り難みがわかるんじゃないのか、
と、自分を正当化してしまいます。
そんな私を「ちいせぇ男やなぁ~」と、
嫁はんは言うんです。
私って、小さい?
充分に小さいわよ!
カクンッ!
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1.米を炊く時に、細かく刻んだかまぼことだしの素を一緒に炊きます。
水は少し多めに入れてください。
2.これを手塩でおにぎりにし、冷めた頃に食べてください。
魚のだしで炊いたようなご飯になり、
鯛の姿を思い浮かべながら食べると、まさに鯛飯。
竹輪や他の練り物では、まったく違う味になります。
< おまけ >
私は時々、嫁はんに
「ちいせぇ男やなぁ~」と言われることがあります。
罪な男だぜ!
何、言うとんねん!
たとえば、
「私はチャーシューメンを注文できない」という話。
人生54年間に、
チャーシューメンを頼んだことは、1回こっきり。
手に汗を握り、心臓をバクバクさせ、
めっちゃ勇気を振り絞って、
「チャ、チャ、チャーシューメンをください」
と言ったんです。
その時のどきどき感がトラウマになり、
それ以来食べたことがありません。
どうして、注文できないのかって?
チャーシューメンって、
すんごぉ~~~~~~~く贅沢だと思いませんか。
ラーメンだってチャーシューは入っています。
とりあえずは食べられるんです。
なのに、150円とか200円とか、
上乗せするんですよ。
そんな贅沢って、ありますか。
そりゃあ、食べたいですよ。
麺が見えないほど、
ずら~~~~~り並んだチャーシューには憧れます。
チャーシューの食べるタイミングで
悩むこともありません。
夢のようです。
ラーメンだと、いつ食べるべきか迷ってしまいます。
とりあえずはスープを飲んで、麺をすすって、
次にいきたいところだけど、
ここは我慢して、メンマを食べる。
また、麺をすすり、「ここか?」と悩みながらも、
まだまだ早いと自分に言い聞かせ、ナルトをパクッ。
また、スープ。
麺を噛み締め、
「さぁ、いよいよかな?」と箸を伸ばすが、
「待てよ、2枚しかないチャーシューを
ここでいっては、後が淋しくならないか」と、
冷静になるものの、
「ここでいかなければ、他のお客さんから、
“セコい”と思われるかもしれないなぁ~」と、
食べる理由をつけて、エイヤァー! と、
3分の1ほどを噛んでみます。
自分でもセコい食べ方だとは思うが、
後のことを考えると仕方がない。
たとえ3分の1でも、幸せを感じる瞬間です。
こんな感じで、ラーメン1杯に疲労困ぱいしながら、
食べ進んでいくのは、なかなか楽しいけれど、
辛いものもあります。
そして、フィニッシュを迎える時に、
ほんの少し空しさを感じるんです。
チャーシューは最後にしたい。
でも、それはあまりにもセコい。
誰かに知られては、
人生に汚点を残すことになります。
だから、最後はスープにしなければならない。
無念!
だったら、その前がチャーシューになるのか?
いや、それではスープを飲んでいる時に、
チャーシューが透けて見えてしまう。
他のお客さんに気づかれるので、
麺は残しておかなければならない。
なので、スープの前は麺になります。
つうことで、その前がチャーシュー。
あぁ~、最後から3番目。
これでは、食後の印象が薄くなる。
チャーシューメンを頼めば、
こんな面倒なことを考えなくてもいいんです。
いきなりチャーシューを食べる、
という暴挙に出ることもできます。
最後から3番目に食べても、
途中でたくさん食べているから、
印象は強く残っています。
幸せを感じながら、箸を置くことができるんです。
でも、ドンドンドン(机を叩く音)、頼めない。
貧乏人として生きていると、
贅沢を知るのが恐いんです。
150円、200円で、
他に何が買えるかを考えてしまうんです。
チャーシューは少ないからこそ、
有り難みがわかるんじゃないのか、
と、自分を正当化してしまいます。
そんな私を「ちいせぇ男やなぁ~」と、
嫁はんは言うんです。
私って、小さい?
充分に小さいわよ!
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