コメントありがとうございます。
怖くないって否定されると、怖さが増すんですね。
感情を受け容れ、怖さを減らすために、
子どもが怖がっている時は、
子どもを抱きしめて
「怖いね」
「怖くていいよ」
《息をし続ける限り、私たちは希望をもち続ける》
これだけ余震が続くと、安全な家に住んでいる有難さを感じると同時に、
でもこの家は、いつか倒壊しないかという不安もよぎります。
福岡まで講義にお越しいただいた
弁護士の角田由紀子先生と打ち合わせの時に
「阪神大震災の被災者で、
家が倒壊して亡くなった人は、一人暮らしの女性が多かったの、なぜか知ってる?」
と、問いかけられました。
答えは、男性に比べて、女性は所得が低いために、受け取る年金も安く
倒壊してしまい易い家にしか住めないからだそうです。
そう、そう、日本の子どもの貧困が問題となっていますが、貧困家庭の多くも、
「母子家庭の母親の所得の低さ」
が原因だそうです。
こうして学んだことから
「日本の子どもたちの明るい未来」を考えた時に
虐げられてきた女性の所得を上げることは、
とても大切なことだと思うようになりました。
そして、こうしている今も
熊本では、家が倒壊したり、物が散乱して避難生活をされている方々がいる。
この困難を乗り越えられるという、希望を持ちたい。
以下、オバマ大統領が大統領選の時に行ったスピーチから一部抜粋してご紹介します。
***
私たちがこれまで達成してきたことを見れば、これから先さらに何ができるか、何をしなくてはならないかについて、希望を抱くことができるのです。
今回の選挙には色々な「史上初」があり、これから何世代にもわたって語り継がれるいろいろな物語がありました。
けれども私が今夜なによりも思い出すのは、アトランタで投票したひとりの女性の物語です。
彼女はほかの何百万という人たちと同様に、この選挙に自分の声を反映させようと行列に並びました。
ただ1つだけ、ほかの人と違うことがあります。アン・ニクソン・クーパーさんは106歳なのです。
奴隷制が終ってから一世代後に、彼女は生まれました。
道路を走る自動車もなければ、空を飛ぶ飛行機もなかった時代です。
その時代、彼女のような人はふたつの理由から投票できなかった。
女性だから。
そして皮膚の色ゆえに。
さらに私は今晩、アメリカで生きた100年以上の間にクーパーさんが目にした、ありとあらゆる出来事を思っています。
心を破られるほどの悲しみ、そして希望。困難と、そして進歩。
そんなことはできないと言われ続けたこと。
にもかかわらず、ひたむきに前進し続けた人たちのこと。
あのいかにもアメリカ的な信条を掲げて。
Yes we can。私たちにはできる、と。
女性は沈黙させられ、女性の希望は否定されていた時代にあって、クーパーさんは生き続け、女性が立ち上がり、声を上げ、そしてついに投票権に手を伸ばすのを目撃したのです。
Yes we can。私たちにはできるのです。
アメリカの大草原に絶望が吹き荒れ、大恐慌が国を覆ったとき、クーパーさんは「新しい契約(ニュー・ディール)」と新しい仕事と新しく共有する目的意識によって、国全体が恐怖そのものを克服する様を目撃しました。
Yes we can。私たちにはできるのです。
この国の湾に爆弾が落下し、独裁が世界を支配しようとしたとき、時の国民が立ち上がり、偉業を達成し、そして民主主義を救うのをクーパーさんは見ていました。
Yes we can。私たちにはできるのです。
クーパーさんは(人種隔離政策が行われていたアラバマ州)モンゴメリでバスが黒人を差別するのを知り、
(同州)バーミングハムで警官が消火ホースの水でもって黒人を抑圧するのを知り、
(流血のデモ行進が行われた同州)セルマの橋を知り、
そしてアトランタからやってきた牧師と時代を共有しました。
アトランタからやってきたその牧師は人々に「We shall overcome(私たちは克服する)」と語った。Yes we can。私たちにはできるのです。
人が月面に着陸し、ベルリンでは壁が崩壊し、われわれの科学と想像力によって世界はつながりました。
そして今年、この選挙で、彼女は指でスクリーンに触れ、そして投票したのです。
なぜならアメリカで106年生きてきて、幸せな時代も暗い暗い時代もこのアメリカでずっと生きてきて、クーパーさんは知っているからです。
このアメリカと言う国が、どれほど変われる国なのか。
Yes we can。
アメリカよ、私たちはこんなにも遠くまで歩んできました。
こんなにもたくさんのことを見てきました。
しかしまだまだ、やらなくてはならないことはたくさんあります。
だから今夜この夜、改めて自分に問いかけましょう。
もしも自分の子供たちが次の世紀を目にするまで生きられたとしたら。
もしも私の娘たちが幸運にも、アン・ニクソン・クーパーさんと同じくらい長く生きられたとしたら。
娘たちは何を見るのでしょう? 私たちはそれまでにどれだけ進歩できるのでしょうか?
その問いかけに答えるチャンスを今、私たちは手にしました。今この時こそが、私たちの瞬間です。
今この時にこそ、私たちは人々がまた仕事につけるようにしなくてはなりません。
子供たちのために、チャンスの扉を開かなくてはなりません。
繁栄を取り戻し、平和を推進しなくてはなりません。
今この時にこそ、アメリカの夢を取り戻し、
基本的な真理を再確認しなくてはなりません。
大勢の中にあって、私たちはひとつなのだと。
息をし続ける限り、私たちは希望をもち続けるのだと。
そして疑り深く悲観し否定する声に対しては、そんなことできないという人たちに対しては、ひとつ国民の魂を端的に象徴するあの不朽の信条でもって、必ずやこう答えましょう。
Yes we can。
ありがとう。神様の祝福を。そして神様がアメリカ合衆国を祝福しますように。
(2016年4月17日日曜日 )
怖くないって否定されると、怖さが増すんですね。
感情を受け容れ、怖さを減らすために、
子どもが怖がっている時は、
子どもを抱きしめて
「怖いね」
「怖くていいよ」
《息をし続ける限り、私たちは希望をもち続ける》
これだけ余震が続くと、安全な家に住んでいる有難さを感じると同時に、
でもこの家は、いつか倒壊しないかという不安もよぎります。
福岡まで講義にお越しいただいた
弁護士の角田由紀子先生と打ち合わせの時に
「阪神大震災の被災者で、
家が倒壊して亡くなった人は、一人暮らしの女性が多かったの、なぜか知ってる?」
と、問いかけられました。
答えは、男性に比べて、女性は所得が低いために、受け取る年金も安く
倒壊してしまい易い家にしか住めないからだそうです。
そう、そう、日本の子どもの貧困が問題となっていますが、貧困家庭の多くも、
「母子家庭の母親の所得の低さ」
が原因だそうです。
こうして学んだことから
「日本の子どもたちの明るい未来」を考えた時に
虐げられてきた女性の所得を上げることは、
とても大切なことだと思うようになりました。
そして、こうしている今も
熊本では、家が倒壊したり、物が散乱して避難生活をされている方々がいる。
この困難を乗り越えられるという、希望を持ちたい。
以下、オバマ大統領が大統領選の時に行ったスピーチから一部抜粋してご紹介します。
***
私たちがこれまで達成してきたことを見れば、これから先さらに何ができるか、何をしなくてはならないかについて、希望を抱くことができるのです。
今回の選挙には色々な「史上初」があり、これから何世代にもわたって語り継がれるいろいろな物語がありました。
けれども私が今夜なによりも思い出すのは、アトランタで投票したひとりの女性の物語です。
彼女はほかの何百万という人たちと同様に、この選挙に自分の声を反映させようと行列に並びました。
ただ1つだけ、ほかの人と違うことがあります。アン・ニクソン・クーパーさんは106歳なのです。
奴隷制が終ってから一世代後に、彼女は生まれました。
道路を走る自動車もなければ、空を飛ぶ飛行機もなかった時代です。
その時代、彼女のような人はふたつの理由から投票できなかった。
女性だから。
そして皮膚の色ゆえに。
さらに私は今晩、アメリカで生きた100年以上の間にクーパーさんが目にした、ありとあらゆる出来事を思っています。
心を破られるほどの悲しみ、そして希望。困難と、そして進歩。
そんなことはできないと言われ続けたこと。
にもかかわらず、ひたむきに前進し続けた人たちのこと。
あのいかにもアメリカ的な信条を掲げて。
Yes we can。私たちにはできる、と。
女性は沈黙させられ、女性の希望は否定されていた時代にあって、クーパーさんは生き続け、女性が立ち上がり、声を上げ、そしてついに投票権に手を伸ばすのを目撃したのです。
Yes we can。私たちにはできるのです。
アメリカの大草原に絶望が吹き荒れ、大恐慌が国を覆ったとき、クーパーさんは「新しい契約(ニュー・ディール)」と新しい仕事と新しく共有する目的意識によって、国全体が恐怖そのものを克服する様を目撃しました。
Yes we can。私たちにはできるのです。
この国の湾に爆弾が落下し、独裁が世界を支配しようとしたとき、時の国民が立ち上がり、偉業を達成し、そして民主主義を救うのをクーパーさんは見ていました。
Yes we can。私たちにはできるのです。
クーパーさんは(人種隔離政策が行われていたアラバマ州)モンゴメリでバスが黒人を差別するのを知り、
(同州)バーミングハムで警官が消火ホースの水でもって黒人を抑圧するのを知り、
(流血のデモ行進が行われた同州)セルマの橋を知り、
そしてアトランタからやってきた牧師と時代を共有しました。
アトランタからやってきたその牧師は人々に「We shall overcome(私たちは克服する)」と語った。Yes we can。私たちにはできるのです。
人が月面に着陸し、ベルリンでは壁が崩壊し、われわれの科学と想像力によって世界はつながりました。
そして今年、この選挙で、彼女は指でスクリーンに触れ、そして投票したのです。
なぜならアメリカで106年生きてきて、幸せな時代も暗い暗い時代もこのアメリカでずっと生きてきて、クーパーさんは知っているからです。
このアメリカと言う国が、どれほど変われる国なのか。
Yes we can。
アメリカよ、私たちはこんなにも遠くまで歩んできました。
こんなにもたくさんのことを見てきました。
しかしまだまだ、やらなくてはならないことはたくさんあります。
だから今夜この夜、改めて自分に問いかけましょう。
もしも自分の子供たちが次の世紀を目にするまで生きられたとしたら。
もしも私の娘たちが幸運にも、アン・ニクソン・クーパーさんと同じくらい長く生きられたとしたら。
娘たちは何を見るのでしょう? 私たちはそれまでにどれだけ進歩できるのでしょうか?
その問いかけに答えるチャンスを今、私たちは手にしました。今この時こそが、私たちの瞬間です。
今この時にこそ、私たちは人々がまた仕事につけるようにしなくてはなりません。
子供たちのために、チャンスの扉を開かなくてはなりません。
繁栄を取り戻し、平和を推進しなくてはなりません。
今この時にこそ、アメリカの夢を取り戻し、
基本的な真理を再確認しなくてはなりません。
大勢の中にあって、私たちはひとつなのだと。
息をし続ける限り、私たちは希望をもち続けるのだと。
そして疑り深く悲観し否定する声に対しては、そんなことできないという人たちに対しては、ひとつ国民の魂を端的に象徴するあの不朽の信条でもって、必ずやこう答えましょう。
Yes we can。
ありがとう。神様の祝福を。そして神様がアメリカ合衆国を祝福しますように。
(2016年4月17日日曜日 )