用海町の堂本秀雄さんをお訪ねしました。
西宮文化協会理事の堀内陽光(はるみつ)さんとK新聞記者のI川さんとをご案内して。
堂本さん宅に伝わる、酒樽の菰の焼印を見学するため。
堂本さん、一生懸命に説明して下さいました。
時にはユーモアを交えて。
堂本さんはお祖父さんの代からの酒樽の焼印専門の鍛冶屋さん。
昭和13年まで操業していたと。
そのころ堂本さんはまだ小学生。
もっぱらフイゴ吹きの手伝いをさせられていたとおっしゃる。
でも、職人の仕事をそばで見ておられ、その手順を今も覚えておられる。
しかしまあ、よくこんなものを残しておられたものだ。
戦後間もなくの朝鮮動乱の時など、金属品は高く売れた。だから、
わたしが子どもの頃だが、焼け跡などから銅などの金属を拾って来て売って小遣いにしたものである。
いま、こんなのが残っているのが不思議。あの頃にお金に替えてしまっていてもおかしくない。
そんな話をすると堂本さん、「どうにもならん物は処分しましたけど、これだけは置いておきました」と。
”よくぞ”である。今となっては西宮の伝統産業、酒造りの文化遺産であろう。
お話し下さる堂本さん。↓
http://www.youtube.com/watch?v=g28QIMfoQ_s&feature=c4-overview&list=UUy-KubFsgxH4o3zejC9erFA。