喫茶 輪

コーヒーカップの耳

今年最後の将棋

2017-12-22 22:27:07 | 将棋
昨夜が今年最後の用海将棋会でした。
これですべての今年の将棋教室は終了です。
今年もよく頑張りました。
「用海公民館・子ども将棋教室」ほぼ毎週木曜日。
「用海小学校・将棋クラブ」ほぼ月一回。
「宮水ジュニア学園・将棋教室」年14回。
「鳴尾小学校県民広場・将棋教室」年10回。
「南甲子園公民館・子ども将棋教室」年二日。

来年は1月6日の「宮水ジュニア・将棋教室」から始まります。


あ、書き忘れていた。
子どもの部が終わった後、大人の部で今年最後の対局をしました。
N井2段と。
一局目は、相手のハメ手を察知し、逆用して圧勝。
二局目も大差で勝ち、と思って横着して(一手受ければ安全なのに)寄せに行って、しかし読んでみると詰まないので、また受けに回って、一手差になってしまった。そこでもう一度落ち着いて読んで、最後は相手が投了。
今年の最後は二連勝で、気分良く帰宅しました。
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『間島保夫追悼文集』

2017-12-22 13:45:18 | 出久根達郎さん
『触媒のうた』の編集者、浜田尚史さんから『間島保夫追悼文集』を戴きました。

題字は上野賀山さん。
賀山さんの書がなぜかうちにあるのですが、不思議なことに知らぬ間にあったのです。
一緒にちょっと写っているのは昨日届いた出久根達郎さんからの手紙の封筒。
手紙は和紙に筆で書かれた丁寧なものです。
出久根さんは『触媒のうた』を評価して下さり、帯文を提供してくださった作家。日本文芸家協会の理事長さんでもあります。
わたしなんかが接触させていただけるような人ではないんですけどねえ。
そこで、間島さんと出久根さんと浜田さん、そして私との関係。

まず間島さんはお亡くなりになったのが2004年。もうそんなになるんですね。
わたしはお会いしたのは二度、だと思う。
一度は『コーヒーカップの耳』の出版記念会で。これは宮崎翁がお誘いされたもの。
二度目は宮崎翁の著作50冊だったかのお祝いの席。
聞くところによると大変優れた古本屋さんだったと。
古本屋さんは大体博識です。
出久根さんは、この文集にも追悼文を寄せておられるが、夏目漱石の書簡のことを通じての交流がおありだった。
そして浜田さん。
この文集にも追悼文(足立巻一先生のお宅を訪問された話が含まれている)を載せておられるが、一時、間島さんの店で働いた経験があるのだと。
これは初耳、驚きました。
そしてわたしはみなさんと縁がある。
さらにいえば、この追悼集の編集者の一人が、いつもお世話になっている「街の草」の加納成治さん。三人の編集者を代表して「あとがき」を書いておられる。
実はわたし、この本を手にするのは初めてではありません。
多分加納さんに勧められて読んだことがあります。
今も家のどこかにあるはず。
でも内容は忘れてしまってますので、もう一度読み直します。
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大井際断老師のDVD

2017-12-22 10:16:13 | 懐かしい話
大井際断老師のDVDが出ていることを知り入手しました。
わたしが二十歳代から三十代にかけて、約10年間参禅させていただいた師家です。
現在は静岡県浜松の方広寺の管長さん。
伝統ある立派なお寺です。

現在102歳になっておられるはずですが、このお顔はもう少しお若い時ですね。いい目をしておられる。
いつの収録かどこにも書いてありません。
DVDはまだ見てませんので、そこには記してあるのかも。
40分の収録時間。あとでゆっくりと見よう。

追記
 見ました。
 やはり収録日時は記されてませんでしたが、話の内容から90歳代ということはわかりました。
 まだまだお元気で力強い話しぶりでした。
 笑顔が多いのに驚きました。昔は、優しいのだけれど厳しかったというイメージがありましたので、意外でした。
 昔の茂松寺(西宮)での写真もあって、懐かしい顔がいっぱい。しかしすでに多くがお亡くなりになっていて、時の流れを感じさせられます。
 ご老師にはまだまだお元気で長生きしていただきたいものです。
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