喫茶 輪

コーヒーカップの耳

『次に会う人』

2018-04-25 23:09:01 | 
遠来のお客様だった。
大阪、門真からである。
遠来といっても「喫茶・輪」のお客様には、もっともっと遠くからの人がこれまで何人もあった。
最も遠くからの人は宮城県からの森文子さんで、「東京まで来たついでにやって来ました」と言って、しかも二度までも。
とは言っても門真からは交通の便がそれほどよくない。わたしにも門真には親戚があって時々行くのだが不便だ。
今日、お越しになった赤井宏之さんも「一時間で来られました」とおっしゃる。
わたしは「一時間も…」であるが。
さて赤井さん、詩集を持ってきてくださった。
『次に会う人』

赤井さんとは初対面である。
が、先に詩集『待ち合わせ』をお贈り下さった方。
その時わたし、書評を書かせていただきました。

今日お持ちくださった『次に会う人』だが、2010年刊だから8年前のもの。
まだ読ませてもらってませんが、とりあえず「あとがき」を。

軽い文章ですね。でも本音は違うところにあるのでしょう。
本を出すということは、そう軽いことではありません。一種の覚悟が要ります。
残ってしまうのですから。
巻頭詩を読んでみました。

軽く会話から入って、スッと読み終えてしまう。
が、おっ!と思った。
この一行。
  《生徒とはどんどん齢が離れて行く》
当然のことなのだが、当たり前のことなのだが、わたしは目に留まった。
一緒に暮らす子供とは齢が離れるということはない。
齢の差はいつまでも一緒だ。
ところが学校の先生は、いつも一緒に居ながら(?)、毎年受け持つクラスが変わるごとに年の差が変わるのだ。
わたしはこの一行、新鮮に感じました。当たり前のことなのに驚きがありました。
詩にとって、驚きは重要なことでしょう。
当たり前のことを、キチッと書き留めるということは、易しそうでそうではないと思う。
後を読み進むのが楽しみだ。
赤井さん、遠くからわざわざ、ありがとうございました。
コメント
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