先日、4月1日に但馬へ行った話を書いた。
立雲狭へ桜を見に行き、そして出石へ足を延ばし、そのあと豊岡へ行ったと。
その豊岡でハプニングがあった。
家内のお姉さんの家へ突然行って驚かせようと思ったのだが、
到着すると、「今、Tちゃんが亡くなったと知らせがあった」と。
こちらがびっくり仰天、驚かされた。
家内とそのお姉さんにとっての従弟である。
まだ62歳。最も若い従姉弟だったと。
その両親はまだ健在だ。逆縁である。
そんなところへ、偶然行き合ったのだった。
お姉さん夫婦は、世話を頼まれたのだった。
わたしたちも一緒に病院へかけつけた。
ベッド脇ではまだ赤いランプが点滅し、「ピーピーピー」と異常を告げる発信音が鳴っていた。
ドクターの診断がまだだったのだ。いわゆる心肺停止という状況。
そんなところに行き当たったのは初めてのこと。
いろいろと都合があって、今日が告別式。
朝5時に起きて、6時に出発。午前中の葬儀に参列。
遺影は、2年前のいとこ会でわたしが写したものが飾られていた。
立雲狭へ桜を見に行き、そして出石へ足を延ばし、そのあと豊岡へ行ったと。
その豊岡でハプニングがあった。
家内のお姉さんの家へ突然行って驚かせようと思ったのだが、
到着すると、「今、Tちゃんが亡くなったと知らせがあった」と。
こちらがびっくり仰天、驚かされた。
家内とそのお姉さんにとっての従弟である。
まだ62歳。最も若い従姉弟だったと。
その両親はまだ健在だ。逆縁である。
そんなところへ、偶然行き合ったのだった。
お姉さん夫婦は、世話を頼まれたのだった。
わたしたちも一緒に病院へかけつけた。
ベッド脇ではまだ赤いランプが点滅し、「ピーピーピー」と異常を告げる発信音が鳴っていた。
ドクターの診断がまだだったのだ。いわゆる心肺停止という状況。
そんなところに行き当たったのは初めてのこと。
いろいろと都合があって、今日が告別式。
朝5時に起きて、6時に出発。午前中の葬儀に参列。
遺影は、2年前のいとこ会でわたしが写したものが飾られていた。