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コーヒーカップの耳

続・コーヒーカップの耳 53

2019-01-06 10:05:48 | 続・コーヒーカップの耳


続 コーヒーカップの耳

53「お父ちゃん」

うちのお父ちゃんは ほんまに悪い人やってん。
戦争からやっと帰って来はったと思たら すぐにおらんようになってしまわはって。
戦友の遺品を遺族に届けるゆうて出て行かはったまま帰って来んかってん。お母ちゃんが やっと居るとこ探り当てて わたしら五人の子を連れて 電車乗って行ってん。福知山の方やったと思う。
この辺やろという所まで行って 歩いてるおじさんに 必死で尋ねるお母ちゃんの顔 うち 今でも覚えてるねん。
やっと探し当てたその家の前で お母ちゃんは 一つ大きな息を吸ってから いきなり戸を開けはった。そしたらそこに お父ちゃんが 戦友の奥さんの桃子さんとおってん。お父ちゃん 一瞬ポカンとしてはった。ほんでうちが「お父ちゃん!」ていう前に お母ちゃんが金切り声を上げて掴みかかって行かはってん。アッという間に修羅場やった。下の子らはわんわん泣くし お父ちゃんは怒鳴るし 桃子さんも泣き叫ぶし もうムチャクチャ。しまいにお母ちゃんは そこにうちら五人を 猫の子を押しつけるように置いて どっかへ逃げて行ってしもてん。ほんでお父ちゃんが困って うちらを帰そうと 駅へ連れて行ってん。そやけどそのころ 戦後のどさくさで切符がなかなか買われなかったんやと思うわ。うちら 駅の構内でゴロ寝させられてん。今度はまるで野良犬の子や。そしたら どっかからお母ちゃんが現れて 泣きながら「かんにんな かんにんな」ゆうて うちらを家に連れて帰ってくれてん。
そのあと お父ちゃんも帰って来たんやけど 何か月かしたら 今度は桃子さんがうちの家にやって来てん。それも赤ん坊を負んぶして。その子はお父ちゃんが生ませはった子やってん。
うちはまだ子どもやったから どう決着がついたか知らんけど そのあとちょっとの間は 家族八人で暮らしてん。そやけどまたお父ちゃんが 出稼ぎに都会へ出ていかはって そのまま帰って来はらんようになってしもた。何年もどこに住んでるか分からんようになってしもてん。
お母ちゃんはまた八方手を尽くして やっと探し当てはったら 子どもが二人出来とってん。その女の人 玉江さんには 前のご主人の子で 俊夫ていう子もあってな もうややこしいことやってん。
とうとう離婚になって うちらはお爺ちゃんとお母ちゃんに育てられてん。そら貧乏やったよ。お爺ちゃんもお母ちゃんも仕事があるから うち 毎日下の弟を連れて学校へ行きよった。教室の一番後ろの隅っこの席で子守りしながら勉強しててん。けど そんなんで勉強できるわけないやん。そやからうち 今でもなんにも知らんアホやねん。
それから年月が過ぎて 縁あって結婚してここに来たんやけど ある時 俊夫さんから電話があって 「そちらに仕事があって 出張で行くので一晩泊めて下さい」て。ちょっと考えたけど うち 泊めてあげてん。考えたらその人も親に裏切られたような人やから なんか可哀そうでね。だけど会っても なんにも話せなかった。話すことがなかった。
問題はそのあとやん。今度はお父ちゃんが電話かけてきて 同じように「一晩泊めてくれ」て。これは アホちゃうか思て ハッキリ断った。ほんならおとうちゃん なんて言うたと思う?「親の言うこと聞かん子がおるかっ!なんぼアホな親でも 子は親の言うこと聞くもんや」て。
そんなこと言う人やってん。それでも 死んだ知らせが来た時は葬式に行った。ほんで お骨拾いながら 「お父ちゃん」て言うてしもてん。腹立つわあ。

『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア・2001年刊)
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