神戸新聞の読者文芸欄。
今日は今年の年間賞の発表でした。
その詩の部。
星野灯さんでした。
これを読むとドラマチックですねえ。
この人に行くべくして行ったのでしょうか。
そして選者の時里氏の言葉。
星野さんの「誕生日」を選ばれたのですが、この詩、わたしも注目しました。
このブログにも書きました。
「誕生日」
神戸新聞の年間賞については思い出があります。
もう遠い昔、昭和54年の発表でした。
そこに載った詩を偶然見て、「これならわたしにも書けるのでは?」と思ったのでした。大きな勘違いでしたが。
今は詩作品年間賞は改めて紙面に掲載されませんが当時は全文が再掲載されていました。
そして、すぐに思いついた詩を書き、応募したのです。
それが、わたしが大人になって初めて書いた詩でした。
その時の選者が足立巻一先生だったのです。
それがわたしの後の人生に大きく影響を与えたのでした。
もしもあの時、その年間賞の作品が違う作品だったら、別の人生になっていたかもしれません。
その時の受賞者とは後に宮崎修二朗翁を通じて知り合いにもなったのでした。
まさに「人生やちまた」ではあります。
『コーヒーカップの耳』詩心いっぱいの本。
今日は今年の年間賞の発表でした。
その詩の部。
星野灯さんでした。
これを読むとドラマチックですねえ。
この人に行くべくして行ったのでしょうか。
そして選者の時里氏の言葉。
星野さんの「誕生日」を選ばれたのですが、この詩、わたしも注目しました。
このブログにも書きました。
「誕生日」
神戸新聞の年間賞については思い出があります。
もう遠い昔、昭和54年の発表でした。
そこに載った詩を偶然見て、「これならわたしにも書けるのでは?」と思ったのでした。大きな勘違いでしたが。
今は詩作品年間賞は改めて紙面に掲載されませんが当時は全文が再掲載されていました。
そして、すぐに思いついた詩を書き、応募したのです。
それが、わたしが大人になって初めて書いた詩でした。
その時の選者が足立巻一先生だったのです。
それがわたしの後の人生に大きく影響を与えたのでした。
もしもあの時、その年間賞の作品が違う作品だったら、別の人生になっていたかもしれません。
その時の受賞者とは後に宮崎修二朗翁を通じて知り合いにもなったのでした。
まさに「人生やちまた」ではあります。
『コーヒーカップの耳』詩心いっぱいの本。