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『兵庫県文学読本・近代篇』

2022-12-19 09:01:18 | 宮崎修二朗翁
昨日、必要があって図書館からお借りしてきました。



今朝はことのほか冷え込んでいますが、昨日もけっこう寒かったです。なのでフード付きのコートを着て行きました。
でもやはり歩くと暑くなって、帰りには手袋もマフラーもバッグに入れコートは畳んで腕に持って日陰を歩いて帰って来ました。4168歩でした。
お借りしたのは『兵庫県文学読本・近代篇』(のじぎく文庫・昭和34年刊)です。
宮崎修二朗翁の「著作目録」に載っている本ですが、わたしは所持しておりませんでした。
翁、生前に古書店に処分された中にはあったと思うのですがね。
でも、こうしてお借りできるのはありがたいことです。
翁の著作目録に載ってはいるのですが奥付に翁のお名前はありません。
編者、のじぎく文庫とあり、発行者は畑専一郎となっております。
しかし文章を読んでみると若き日の宮崎翁が書かれたものにまちがいありません。
これでエッセイ一本書けます。
「序」の文が凄いです。
富田砕花師が書いておられます。
《大廈の材は一丘の木にあらず〔四子講徳論〕というのは、わたくしにとって支配的な感銘を与える言葉の一つだが、これは釈義するまでもあるまい、およそ大事業はかならず大勢の力によるもので、決して一人の力では出来ないと教えているのである。また”多様の光輝”――ことばを換えれば、寄り集まったものが映発する光彩とでもいえようか。拠りどころは十九世紀の西欧詩人の詩集の題名なのだが、個々のそれもさることではあるけれども、寄り集まった作品なりが渾然と一つになって発する光輝ほど言語を超えた美を発揚するものはあるまいというのがわたしのいいたいことなのだ。(中略)よくいわれることではあるが、南は鳴門海峡から北は日本海沿岸におよぶ風土の多種多様性は、文字の風雲にのって天かける概を見せるところのもの、おおよそこの一巻にあつめ得たことを誇示し得ようか。あえて序とする。富田砕花》
この格調の高さはどうでしょうか。思わず背筋が伸びますね。
砕花師はよほど若き日の宮崎翁の仕事を評価しておられたのですね。

『触媒のうた』宮崎翁の貴重な文学史秘話の証言満載。

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