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コーヒーカップの耳

宮崎翁の民芸

2019-02-06 10:46:35 | 宮崎修二朗翁
昨日、鳥取の尾崎さんからお贈りいただいた『民芸入門』(吉田璋也・宮崎修二朗)のコピーを読んでいる。
その宮崎翁が書かれた「わたしの民芸旅行」にこんな箇所が。
《無名陶工が、おそらくは千に上る数にわたって書き続けたであろうその文字は、無心に「まねくった」反復作業が生み出した、すばらしい美しさだった。》
このあと、柳宗悦の感動的な文章を引用しておられる。その一部。《(繰り返しにより)人々は何を作り何を描くかすら忘れて手を動かしてゐます。(略)此の繰り返しこそは、凡ての凡人をして、熟達の域に迄高めしめる力なのです。》
これはある徳利に書かれた「酒」という文字についてのことなのだが、ここを読んでわたしには思い出すことがあった。
もう何年も前に翁が、私の店に携えて来られた皿がある。
出石そばを盛る出石焼の皿である。

その時、こう言われた。「この字は何度も何度も書いたものです。同じ字を毎日毎日書き続けて、こんな美しいものになったのです」と。
同じことですね。
「吉村」はそば処出石の最も古い蕎麦屋さんだったか?そしてこの皿は、見るからに古いものです。
宮崎翁が、昔、田辺聖子さんをお連れして行かれたころ、吉村のご主人におねだりしてもらわれたものだったかと。

ところでこの「わたしの民芸旅行」だが、素晴らしい文章です。
二段、27ページにわたって書かれている。
翁らしい、弱きもの、無名のものへの慈愛に満ちた文章。この時多分翁は60歳代。
最も充実した力を発揮しておられたころでしょうか。
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