強清水の次は野浦である。集落の目印は城ケ鼻という灯台のある岬。
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明治19(1886)年に始まり、野浦小学校としての役割は今年(2007)の三月で終えた。現在はその校舎のまま佐渡市立前浜小学校となっている。
紹介している写真にはないが、校舎からは集落内を流れる川沿いに水田がよく見える。佐渡東海岸にあっては珍しくまとまった水田のある風景でもある。
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ここ(Photo-08.09参考)は旧野浦浦目付と聞く。今は野浦大明神と書かれた鳥居、社殿、そして簡素な手書きによるものだが説明書きの看板がある。
ここは旧野浦浦目付跡である。そもそも、浦目付とは、徳川時代、今日の税関所と海上保安庁を併せたような役所で、港に出入りする商船や積荷を検査して、人や物の不法出入りを取り締まり、一方、沿岸防備や海難救助を任務とした。
役所は、海に面して式台造り、周囲にいかめしく垣根をめぐらし、広い玄関には槍、鉄砲などをおき。舎前に台場があって、小さいながらも大砲一門を備え付け、目付役人一人、下役二.三名、中司数名で、柿野浦から野浦までの九ケ村をその範囲とした。
なお、当時の野浦港は、松前(北海道)上方(関西)を結ぶ交易の中継港として賑わい、四軒の船宿、問屋もあったほどである。(説明書きから。)
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http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=57380400
国土地理院/うぉっチズ
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写真撮影:2007.05.12
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2007年 地理の部屋と佐渡島 sadotiri
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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見所が色々あるようですね
金の産出はしていないのでしょうか
懐に余裕があればゆっくりと佐渡巡りがしてみたいです(苦笑
佐渡は離島という文化伝播の末端にあるのと、
京の都より遠隔地であること、そして金銀の
産出で、独特の歴史的遺産を残してきている
ものと思います。
華々しいものはそうそうありませんが、しみ
じみと中央の歴史の末端に佐渡の歴史が重な
ると行ったような所が良いのではないかと..。
歴史の重みといえば、やはりそちらでしょう。
ただ、離島という関係上、他地域ではなくなっ
たものが残っているような所があるのではと思
います。
また、日本海に浮かぶ島としての自然も魅力的。
であります(笑)。いつかお越しいただきたい
ものと..。
>松前(北海道)上方(関西)を結ぶ交易
の中継港.....
●この船は日本海航海で名をはせた北前船でしょうね。
7番に一票・・・懐かしい「広さ」です。
どんぴしゃり!
そのとおりです。
ただ、周辺諸国への備えから
のちに台場が設置されたんで
しょうねぇ。
島内にポツポツとあります。
生まれ育ったところもこうであったでしょうか?
山間部や佐渡に行きますと、妙に小学校などの風
情が絵になり、見入ります。
どこかで自分の幼いときの原風景探しをしている
ものと思うのですが、さすがに母校の加茂小学校
のグランドはここまで狭くはなかった(笑)。