
長岡市と旧山古志村(現長岡市)との境界近く。市民にその名は親しまれているであろう、南蛮山のすぐ近くと言えばよいか。蓬平の高龍神社から先は通行許可がないと入ることが叶わなかったのだが、現在は一般車両も通行可となっている。
その情報は近所にいる知人からのものである。年老いたご両親を現在の住まいに引き取り、親子で暮らしている。このことは歓迎すべきか? はたまたご両親の望郷の思いを考えるとそれでよいのか..?
位置的には山古志同様の山間部であり、震災被害が甚大であったことは予測のとおりであった。雪深い過疎高齢化のこの村、この先どうなるのだろうか。村を見守ってきたお地蔵さんでも、これだけは答えが出ぬかも知れない。
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写真撮影:2006.5.13
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2006年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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お地蔵さんも、水も良いですね・・・。
ポリバケツが残念ですが、懐かしい風景です。
写っていないですが、手前にはどうも神社
か何かがあったようです。後に地図等で確
認してみますが、震災によって崩れてし
まったのかも知れません。
ポリバケツが残念はもちろんなのですが、
本来は置くに見える石の水受けがあるべき
なのでしょう。こちらも地震で動いたので
しょう..。
竹之高地町はしばらく住民以外は立ち入り
のできない場所でした。
以前何度か 行ったことがあります
もしやその神社というのは
お不動さんを祀った神社では、
近くに不動滝のある、
なんと、震災で・・・
今回初めて竹之高地町へと入りました。
地図には不動神社とありますが、ここが
そうなのかは確認できませんでした。
家が数軒立ち並ぶ所に敷地はあります。
今は、その脇に切り倒された大木の杉丸太。
そして、赤茶の神社か何かの崩れた屋根。
などなど、どうも何かが崩れてしまって
いたようです。不動神社でしょうか?
竹之高地の集落の入り口
右手でしょうか。
だとすれば
おそらく 不動神社かとおもいます。
そうですか、崩れていましたか・・
集落入り口左手には
滝があったか思います。
滝の上流に集落があるという
なんとも不思議な印象を受けた土地でした。
東の方の山の向こう 萱峠をこえると
山古志村のタネスハラですね
さらに奥には
山古志と長岡をつなごうという
トンネルがあったように思います。
わたしが最後に行ったときには
高龍神社の奥の院近くまで
開通していたように思います。
近々、竹之高地への取材時の写真を紹介します。
細かいこと言うより、写真を並べてみます。
とても良いところでしたが、震災の爪痕だらけ
です..。