【太田小・中学校】
長岡市濁沢地区にある長岡市立太田小・中学校。昨日1年と10ヶ月ぶりに復旧した校舎で授業再開となった。現在仮設に住まう方々の住居は我が家のすぐ近くである。学校までは遠い。児童生徒達の中にはこの日、バスやタクシーなどで登校となった子たちもいるようだ。
毎日新聞・地域のニュースを紹介する紙面では、『帰ってこられてうれしい』との見出しがあった。写真は2004年12月10日前後に撮影したものである。地震発生から間もないので時計の針が震災発生の5時56分を指したままである。何はともあれ、慣れ親しんだところが一番。故郷の学校へ戻ってこれたとはいえ、あまりに長い期間だった。地域の復旧・復興は子どもたちの元気な姿と共にあることを願う。
写真①
写真②
【山古志支所】
震災後今日を迎える前に、古志郡山古志村は無くなっていた。長岡市との合併があったためだ。だが、つい最近まで村役場には山古志村役場とあった。かつての役場は昨日、長岡市山古志支所として新たなスタートを切った。
役場のあった竹沢地区の震災被害は甚大である。今は村の復旧復興と言うより、あたかも村を作り直しているというような様である。「もうだめだ..。」。震災直後自分の故郷の惨状を見た仲間の言葉である。あれから1年10ヶ月。新たなスタートに向けての一歩に、また一つ頼もしい味方を得たような気がする。復興・復旧への槌音は今後も谷間に響く。
写真③
写真④
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写真撮影:太田小中(2004.12月初旬)、山古志(2006.07.17)
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2006年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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子供たちの嬉しそうな顔が見えるようです、
>新たなスタートに向けての一歩・・・
かげながら応援しています。
太田地区は濁沢、蓬平、竹之高地付近の事を指します。
その地区は震災被害も大きく、現在もなお仮設住宅住
まいを余儀なくされてる方々が多いのです。
学校も被害を受けていましたので、間借りをする形で
今日まで来ていました。
太田地区の方々の仮設は、市内中心部に近い当方の
自宅近くにあります。まだまだ仮設住まいの方にとっ
ては通学上の不便はあろうと思いますが、それでも母
校が一番でしょう。工事の続く太田地区の新たなス
タート、当方も同じ願いです。
神戸や新潟のような大きな震災を思うと怖い限りです。
新潟。あれから2年近く経つとは。。。
少しでも早い完全復興を願うばかりです。
>2日前、東京湾震源の地震があり、
震度3~4を記録しました。
当方もラジオで聞いていました。
いつでも、どこででも..。
多少の備えをしておかれると良いものと。
さて、あれから2年。
これからは本当の意味でソフト的復旧復興へ
と、向かう時期が来るものと思います。
昨日ボラ仲間から聞きました。
しばらく中越へは行ってないもので知りませんでしたが
今度16,17日にそちらへ行きますので
私たちも山古志に行ってみたいと思ってます。
>山古志へ入れるようになったそうですね。
そうですか?
国道291の開通は話題になりましたが、
山古志へ入れるとは思ってもいませんでした。
日曜日に休めそうですからさっそく行ってみ
ます。