
県道栃尾・山古志線を進み半蔵金地区に入る手前に森上という小さな集落がある。今回の震災で崩れ落ちたのであろう、鳥居は応急措置がされている。
この南部神社の鳥居前に、南部山と書いた碑文があるという。どうも鳥居前で台座から落ちて倒れている石碑がそのようである。碑文台座脇には立て看板が..。
南部山 この碑文は富川大塊翁の作です。お祭りの「のぼり旗二振り」と共に、森上に現存する栃尾市の数少ない文化財として貴重なものです。
とある。看板には続けて富川大塊翁についての説明書きもある。寛政十一年(1799)栃尾町に生まれたという。難民救済と治安に尽力された方と伝える。安政二年(1855)没。
小さな集落にも歴史があるものだと感心しながらも、しっかりとした参道の階段をゆっくり登った。生い茂る杉木立の中へ階段が吸い込まれていくようである。しかし、あいにくの雨で足下が悪い。棚田を見てまわった靴には粘る泥も付いていて始末に悪い。滑りそうなのでこわごわ階段を下りることにした。
結局、後少しというところで転びそうになり、手からデジタルカメラが離れて落ちた。そう、すでに紹介したが、またやってしまった現場こそここ南部神社であった。
この南部神社の鳥居前に、南部山と書いた碑文があるという。どうも鳥居前で台座から落ちて倒れている石碑がそのようである。碑文台座脇には立て看板が..。
南部山 この碑文は富川大塊翁の作です。お祭りの「のぼり旗二振り」と共に、森上に現存する栃尾市の数少ない文化財として貴重なものです。
とある。看板には続けて富川大塊翁についての説明書きもある。寛政十一年(1799)栃尾町に生まれたという。難民救済と治安に尽力された方と伝える。安政二年(1855)没。
小さな集落にも歴史があるものだと感心しながらも、しっかりとした参道の階段をゆっくり登った。生い茂る杉木立の中へ階段が吸い込まれていくようである。しかし、あいにくの雨で足下が悪い。棚田を見てまわった靴には粘る泥も付いていて始末に悪い。滑りそうなのでこわごわ階段を下りることにした。
結局、後少しというところで転びそうになり、手からデジタルカメラが離れて落ちた。そう、すでに紹介したが、またやってしまった現場こそここ南部神社であった。