写真撮影:2009.05.16
私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されてる
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために
jupitar/ayaka hirahara
Photo-01
木籠(こごも)を過ぎてしばらく。崖の上に畜舎が見える。
震災により崖から崩落した大量の土砂が道路を寸断した。以降の写真に見る集落内の風景からはうかがえ知れぬ状態であったようだ。被害はかなりのもので、集落は崖上の高台へと移動することとなった。Photo-07は現在の楢木集落である。なお、写真に出てくるかまぼこ型のハウスは車庫や物置となるもので、越後の豪雪地では珍しくない。
Photo-02 かつて集落はここにあった。
Photo-03 少し上から楢木を見下ろす。
Photo-04 傾いている。かなり危険である。
Photo-05 崖下から見えた畜舎。たくさんの牛がいる。
Photo-06 再度、高台から楢木を見下ろす。
Photo-07 移転後の楢木集落。
【かんりにんより】
三日間にわたりました中越地震の被災地紹介は突然のことでした。実は単身赴任する以前から、その後の風景を紹介しておくべきであったと気に病んでいました。記録をすると言いながら、ずいぶん間が開いていたことを改めて悔やみます。
今回、特別な目的があっての再訪でしたが、改めて「忘れるなよ」との思いを抱かせてくれる下見となりました。なお、冒頭は平原アヤカさんのジュピターからの一節です。この歌は震災前年に発表されましたが、被災した長岡市民にとっては思いをのせた歌となっています。
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写真撮影:2009.05.16
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2008年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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ノンビリした、緑と木々の美しい村に見えますが、
此処は、鯉と牧畜が盛んでしたね、
楢の木の濃さが、綺麗ですし、
沢山植えていますね、
近づいて見ると、まだまだ!地震の爪跡が
残ってるのですね
まだ完全には癒えていないようですね。
何のお手伝いも出来ませんがせめてエールだけでも届けたいです。
佐渡にもこのような集落がたくさんあります。
懐かしく思いました。
山古志村は「牛の角突き」で有名ですね。
少しずつ復活したようです。
みなさん、それぞれいろんな思いがあるようです。
健康で過ごして欲しいと思います。
降ったりやんだりでした。さて、明日はどう
でしょう。前日はかなり気温が上がったよう
ですが、温度差がかなりあったようです。
▼mitirinさんへ。
三回連続で被災地紹介。以前よりは生々しさが
和らいでいますが、まだまだ震災の名残を見て
取れます。明日からは再び佐渡からの報告です。
▼micoさんへ。
ありがとうございます。皆さんが関心を寄せて
くれるだけで良いと思います。現地の人たちも
たくましく生活しております。
▼山小屋さんへ。
小佐渡の方ですね。川茂など羽茂川流域には
佐渡には珍しい中山間部の風景が広がります。
また、猿八など畑野でも..。
さて、震災からまもなく5年の歳月が。まだ
まだその負担を強いられている現地ですが、
何とか頑張って欲しいものです。
確かここの牛をヘリで吊り下げ移動させた映像を
覚えているようないないような・・・。
それらの牛舎なんでしょうか。
↓おねだりします。
木籠のPhoto-03とPhoto-04の写真の原画をメールで送信を希望します宜しくお願いいたします!
あの牛舎は言われるとおりです。
空輸しました。1億円以上はか
かったとか聞きました。定かで
はないですが、結構牛の頭数い
ますから、あながち..。
さて、データの件了解しました。
時の流れと人の気持ち・・・
時に思い出す衝撃の一夜・・・
時の過ぎるのも早いです。
1枚目の崖を押さえているコンクリートの網、あれが完全に緑に埋まるまで、地震は過去のものにならないと思っています。東山から山古志にかけてはあのコンクリートの網が山肌にびっしりと張り付いていて、当初は痛々しかったです。まるで山に包帯を巻きつけたみたいで…。
だんだん緑に覆われるようになってきて(そしてコゴメやワラビがパイオニア植物としてよく茂っています)、雪をしなやかに受け流す木々が育ってきて、昔のような豊かな緑の復活を待っています。
衝撃の..
もう今ではほとんど無くなりましたが、
あの揺れを経験して、少ししてから
いわゆるPTSDに近い症状も感じま
した。今ではそんなことはなくなりま
したが、結構動悸というか、異常な
心持ちになったことを思い出します。
時の過ぎるのは...
そうであって欲しいですねぇ。
やはり同じですね。包帯が見えなくなって、
むけた傷跡の赤茶けた風景がある程度無く
ならないと、一帯をしる者にはもとの風景
ではないでしょう。
ですが、それはそれ。全国からの支援と、
たくましい越後の人々により、復旧・復興
は着実に進んで来ている。そして、すすん
できた。こう思うのです。すでにそうです
が、未来を信じてですね。