長岡市立中央図書館文書資料室・災害アーカイブス展
避難所の記録と記憶
震災をふり返る企画。現在、長岡市、小千谷市、川口町で行われている。
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決して良い思い出ではないが、たくさんの支援や励まし、懸命な対応がなされていたことを改めて確認。前半三枚は震災翌日の新聞である。下のものは避難所での掲示物や、届いた励ましの手紙などである。
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地理佐渡・過去記事より
10月23日(土)夕方、短時間の小刻みな揺れが、一気に突き上げるような揺れに変わった。瞬間「来た!」といった思いの中、隣の部屋にいた娘がテレビを見ていた隣室からひざまずいた状態のままこちらの部屋に来た。とにもかくにも危険防止のためにテーブルの下に入れた。一呼吸おいてまた再び激しい揺れだ。落ちそうなテレビやPCを押さえつつ、娘にはテーブルの下にいるよう指示した。揺れは激しかったが、比較的短時間だ。収まったところで、とにかく外に出た。
この文は、地理佐渡が震災発生を最初に記事としてアップしたものからである。まだ余震のさめやらぬ2004年10月25日に投稿されていた。続きは下のリンクからたどって欲しい。
http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/d/20041025
10.23新潟県中越地震1
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【かんりにんより】
災害アーカイブス被災地連携企画展は下記のようになっています。
■仮設住宅展示
多世代交流館になニーナ
長岡市千歳一丁目
10:00~16:00
毎週土日休み
0258-32-0889
■避難所の記録と記憶 災害アーカイブス展
Photo-09参考
■震災資料室
長岡市山古志支所3F
08:30~17:00
毎週土日休み
0258-59-2330
■中越大震災 あの日あの時・今・これから
小千谷市民学習センター(楽集館)
10/22~12/21 10:00~21:00
毎週火曜休み
問:小千谷市社会教育課
0258-82-9111
■防災グッズ・震災写真館
体験交流館 杜のかたらい
10/1~10/31 09:00~17:00
10/13、10/26は特別展示有り
毎週火曜休み
問:川口町産業振興課
0258-89-3113
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写真撮影:2008.10.20
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2008年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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色々イベントがあったようで、
テレビなどでも報道されてい
ましたね。あの時被災した子
供たちも大きくなっています。
そんな中でも、その時のことに
思いをはせているんですよね。
報道されていました。
子供達の祈る姿と願いを込めた蝋燭の灯りが
印象的です。
もしかしたらに備えていただければ幸いです。
震災関係の過去記事を暇な際にご覧いただけ
れば幸いです。震災を報ずるサイトは他にも
多々ありますが、地理佐渡も少しはストック
されていると思います。
発生直後、と言っても少し間が開きましたが、
どのような状態であるかを記録し続けました。
今となっては思い出です。
たいした被害がなかった当方は幸運でした。
暇な際には是非過去記事の初期のものなんか
をご覧いただければと思います。
思い起こしますと、色々な出来事が
ありました。大きな震災はとにかく
生活のすべてに影響が出る。
とくにライフラインの停止が一番な
のですが、何よりも冷静な判断と
対処が要求されます。
もう、・・・・。
早いものですね。
いろいろな想い、伝わってきました。
いつ起きるか、分からない地震、・・・・。
その時のための対応の参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
地震ばかりは防ぎようもなく、天災の中で一番怖い
です。
正直な気持ちは「起きるな」「来るな」ですが
、こういう記事で思い出して備える、ということが
大切なんでしょうね。
あの時、私は川崎市中原区の某会社で仕事中でした。
業務終了後の報告書を入力していた時
長周期の横揺れが長い間続いていたのを覚えてます。
その後「新潟方面は電話が繋がりません」の
緊急社内メールが送られてきて...。
災害の重大さは家に帰ってTVで知りました。
2004年の新潟は大水害もありましたね。
たしか7月には大雨で県内の堤防が決壊して
「PC関連の機器が新潟に届けられない」なんて
担当者が騒いでいたのを覚えてます。
戦中の..
東南海、東海、関東。
実は見方によっては三者は
一連の動きをすると見る説
もあります。
ただ、そのスパンは地球規
模ですから数年から数十年
は視野のうちかも知れませ
ん。
神戸が起こってこの方、日
本は地震の活動期に入って
いるとの見方も..。
余りいい意味でない記念ですが事実は事実。
何時かは駿河の国の番になることです。
戦中の東南海地震・戦後の福井地震を経験
しています。
新潟の皆さん頑張りました、東海地震の良い
お手本になることでしょう。
此方が他界してしてからにして欲しいのが
正直な気持ちです!
日輪の輪は富士山が見られる時には輪の中心
に富士山を入れて見ることができるように
なっているようですがまだその時に見ていま
せん。この冬に挑戦してみましょう。
良い手紙。他にもあるのですが、
心温まるものばかりでした。
もちろん感動もいただきました。
一市民としてそのようなものが
届いていたことを確認できたこと。
良いものを見られて幸運でした。
首都圏直下は恐ろしい話になります。
神戸を除き大都会での大震災は久し
くないです。神戸であのレベルでし
たから、首都圏直下ですと未曾有の
被害となりますね。それがないこと
だけを祈りたいものです。
本当にあの惨劇の中での心温まる
一場面ですよね。中越沖の際に
避難所で実質二日間の支援をして
きましたが、何かをしておきたい。
そんな思いを抱きました。
寂しいことばかり聞く世相の中、
それでも暖かい人たちの心もまだ
まだあるんだなぁと実感しました。
中山間部の過疎地では震災を機に
たくさんの人々が村を離れてしま
いました。あまりに被害が大きい
ので無理無からぬ事でした。
小千谷も、川口町も、山古志も。
もちろん長岡市もそうですが、
突然の出来事にふるえました。
しかし、地震大国日本。
ほんとうにいつどこで起こるか?
こればかりは一度経験したから
と言っても気の許せない体験も
しました。
とにもかくにも何かあった時への
備え。小さな事一つでもしておく
ことが..。
当方でしたら懐中電灯とラジオ
かな..。
とにかく地域コミュニティーの
形成が大切です。小千谷市など
では初期動作が地域コミュニティー
で機能していました。
それですべて良しではないですが、
何かあったときは最初の数日間は
地域の力が一番大切となるものと
思います。
なにげに関東方面では小規模な地震が
続いています。大事に至らぬよう願い
ますが、やはり備えも必要ですよね。
思い出したくない過去を
この日が来ますと思い出
さざるを得ない。
そんな感じですね。
少しずつ時間の経過と共に
癒える傷もあろうと思って
はいますが、体験した被害
の大小もあり、未だに尾を
引く方も多々あろうと思い
ます。痛ましい思いのコメ
ントでした。
あれから4年もたったのですね。
自然は優しいときもありますが、
このような惨いことも起こり心が傷みます。
でも、皆様のあたたかなお心使いにジーンときました。
25日~29頃まで出かけてきます。
戻りましたら、よろしくお願いいたします。
あの後も大きな地震が何度も中越や東北地方を襲いましたね。
でも被災された皆さんはよく頑張って復興されました。素晴らしい頑張りです。
30年以内に70%の確率で首都直下型地震は起きるといわれてからもうどのくらい経つのだろうか。
今度は私達が底力を発揮する番かな。
大地震は起きないにこしたことはないのですが。
でも心の傷が癒えるのはまだ先でしょうか。
8枚目の写真に胸が熱くなりました。
ほんの、この間の様な気がします、
酷い災害でしたが、
岩に挟まって助かった幼子も、幼稚園児ですね、
小千谷市の被害に酷さに、驚きました、
もう、避難してた方達、小千谷に戻って居ますか?
私はドライブ中にカーテレビで一報を
知りました、忘れられない日です
有名になりましたね。地震国日本ですから
どこで発生するか分かりませんね。
実際に経験していないので、その恐ろしさはわかりませんが、突然くる震災の恐ろしさは理解している積りです。
新潟地震の時も東京にいました。
万代橋が残って、昭和大橋が将棋の駒のように倒れていたのが印象に残っています。
今年、立川の防災館で地震や煙の中の非難、消火器の使い方、人工呼吸のやり方などを体験しました。
地区の防犯・防災委員をやっているので、来年も企画してたくさんの人に体験して欲しいと思い、消防署と計画中です。来年早々に実施の予定です。
ほんとうに早いですね。アーカイブスになると、とても古いような感覚になりますが、ついこの間の話です。房総も、このところ小さいのがよく来ます。災害は、忘れた頃に・・・こういう催しは大切です。
東京では何もなかったかのように日々が過ぎていきます。その現実に、「おいていかれた」感をひしひしと感じています。
町中には震災の痕はほとんど見られなくなりましたが、まだ、心の傷は癒えていない気がします。当時の記事など、涙なくして見られません。
過去のものとして忘れるのではなく、あの貴重な経験の数々を未来に繋げれば…、とゆかりの者としては思います。