ガックリと肩を落としたくなるような光景が待っていた。半蔵金には月に一回程度のペースで訪れていたが、大杉を失い、そして大欅も失いしたりして、しだいに変わっていく風景に心を痛めていた。
今日、久しぶりに午前の勤務を終えてから半蔵金へと走った。中心の商店前にさしかかると大木を刻んだ丸太の断片が積まれていた。向こうにはトラックの荷台にも同様のものがある。
もしや..。
写真は4月1日(2006年)の半蔵金の風景である。この先どうなるのか..。地元の人が答えてくれた。この方一週間くらいでの事であったという。そして、それでも数本は残すんだと言っている。
であるが、胸中はいかがなものであろうか。半蔵金に春は本当に来るのだろうか..。悔しいというか、無念というか..。この光景を半蔵金を故郷とする方々はなんと思うだろうか..。傷ましい姿。ずいぶん雪が融けた上り坂を沈痛な気持ちで登らねばならなかった。
昨年はこんな報告もしていた
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写真撮影:2006.4.01
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2006年 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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よかったぁ~。 一致しているようです。
川は西谷川と言ったでしょうか?あの辺
は、本当にねぇ..。地元の方に聞かな
いと震災によるものなのか、水害による
ものなのか、訳がわかりません。
工事が入っている現場では、工事を示す
看板が何によるモノかのヒントを与えて
くれます。現場で作業している方々や、
地元の方々は、現場で問を投げかけてみ
ますと結構気さくに説明をしてくれます。
あの神社についてもなぜあそこにあるのか
とか、解体作業中のおじさんやおばさん達
はしばらく手を休めて説明してくれました。
迷惑でしたでしょうに、結構長話になって
しまいました。
>半蔵金を愛して下さっているかんりにんさん深く
感謝しています。
なかなか帰省することもできませんが、このブロ
グで様子を知ることができます。
恐縮です。ただ、最初の訪問で強烈なインパクトを
受けたのがきっかけで、幾度となく通っているせいで、
愛着が湧いてきているのが実際です。
ここを故郷にしていて、その今の姿がすぐには見る
ことができない。と言う方々に少しは今の姿が伝わ
りますこと。これは管理人冥利に尽きます。
はたまた、こういう記事を頼りに、昔の半蔵金の様
子をお聞かせいただけますこと。これもまたありが
たいことです。現地ですれ違う地元の方々とは、あ
いさつ程度のものはありますが、長話はほとんどし
ませんので、色々な話をじっくり聞かせてもらうと
言うこと。ありません。今後ともヨロシクでありま
す。
さて、雪の方ですが、たぶん四月いっぱいは..、
これは管大工さんの右脇からの坂道を上がってくる
おばさんから聞きました。まだまだ本格的春は..、
のようです。
小川を右手に見て一段上がったところにあっ
たものでしょうか?
そうです まさにそこです
なんと 7月の水害ですでに・・・
そうだったんですか
あの地域は
地震ばかりではなく
その前の水害でも
大きな被害を受けていたんですね・・・
半蔵金を愛して下さっているかんりにんさん深く感謝しています。
なかなか帰省することもできませんが、このブログで様子を知ることができます。
さて、鎮守様の様子がすっかりかわってしまい、まるで別の場所のようです。
去年、大杉が倒れた後いってみました。神社の広場にはまだうっすらと土俵のあとが残っていました。
その昔(~昭和20年代?)相撲は男女の出会いの場だったそうです。日頃は農作業のみの生活だったわけですが、力自慢の若者は近くの村々を廻り、娘たちは精一杯の装いで相撲を見に行ったそうです。
子供の頃、
「○×のジサは、△▽村に相撲とりに行ったとき、きれいな女っ子が見に来ていて、あの娘を嫁に欲しい、と言ったところ、その娘を知っている人が、よしわかった。俺が話を薦めてやる。ということで、とんとん拍子に話が進んだ。嫁どりの日にやって来た嫁はぜんぜん違う娘だった。それが○×のバサだ。相撲を見に来ていた娘は妹で、嫁に来たのは姉だった」という話を笑い話のように聞いていた。
>地震の後とおったら
残念なことにそのちいさなお社が崩れていました。
道路沿いに鳥居があって、田んぼの中を抜け、
小川を右手に見て一段上がったところにあっ
たものでしょうか?
もしそうでしたら、あれは7.13水害の時にす
でにやられていました。大水で崖も少し崩れ、
社が傾いてしまいました。ちなみに滝は社の
すぐ上にあります。
震災後さらに酷い状態になったようで、社を
守ってきていた方々が取り壊していました。
屋根を真新しい銅板に葺き替えたばかりでし
たからかわいそうでした。
今、道路が新しくなり、あの鳥居の前を通る
ことは無くなりました。
注意していないと、あの辺の土砂あるいは崖
崩れは水害時のものと震災時のものとの区別
がつきません。地元の方に聞くのが一番。
当方も時折ですが、地元の人の話を聞いてで
あります。
あの年は本当に大変でしたねぇ~。
痛めつけられたと言った感じの年でした。
森上か半蔵金の辺りかもしれませんが(ちょっと正確な場所がわかりませんが)
道のすぐ脇に
小さな瀧があって
小さなお社がありました。
とおるたびに 写真に撮りたいなあと思っていた
神社ですが、
地震の後とおったら
残念なことにそのちいさなお社が崩れていました。
今あるものはかけがえのないものなんですね
大変残念でした・・・。
レス入れたのですが、こちらの更新が
されていないようで..。
半蔵金。100年、200年というスパンで
考えないとなのでしょうねぇ。
無くなるのは一瞬ですのに..。
永年作物のみかんを栽培している我々も、木が倒れるというのは、一番つらいこと。倒れても、倒れても、植えてゆきたい。一昨年、台風でかなりの木が倒れました。
伊勢神宮では、200年後の遷宮のために、杉を植えるそうです。
子々孫々、受け継いでゆくこと、大事ですね。