写真撮影:2010.08.03
北沢地区(旧相川町)には火力発電所、青化精錬所、浮遊選鉱場跡、シックナーなどの施設跡が見られます。
Photo-01 施設跡へはカーブの頂点左折です。
相川の大佐渡スカイライン入口という標識に従い、しばらく行くと左手に相川高校という指示があるのですがその指示をやり過ごします。そのまま直進してみると登りから下りへと転じますが、そうその道を下ったあたり。大きくカーブする頂点付近に北沢地区の旧鉱山関係施設を訪ねる入口があります。
佐渡金山の歴史を深く調べたことはありません。ただ、幕府直轄から明治政府による官営、さらに三菱への払い下げ。日本海に浮かぶ小さな島の金山。17世紀以降は常に日本の歴史に使い回されてきました。
私はこの風景を見て、相川という町とその地にある金山が、その当時の日本にとって島のように小さい存在ではなく、果たしてきた役割から考えるに、とても大きな存在であったと考えてしまいます。撮影している全てではないですが、全部で12枚+2枚であります。
Photo-02 火力発電所でした。
Photo-03 発電所背後からはインクラインが伸びているとあります。
Photo-04 斜面にあるのがインクラインと言われるものでしょうか。
Photo-05 火力発電所跡です。
Photo-06 地図では青化精錬所と思われます。
Photo-07 火力発電所です。
Photo-08 手前は青化精錬所跡、奥は浮遊選鉱場跡です。
Photo-09 右は発電所。左は精錬所跡。
Photo-10 09から左を見た青化精錬所跡です。
Photo-11 青化精錬所跡のさらに左奥にある浮遊選鉱場跡です。
Photo-12 浮遊選鉱場跡かなり寄ってみました。
Photo-13 佐渡金山一帯の様子を示しています。
Photo-14 先の地図をトリミングし、北沢地区を拡大視しています。
説明書きの内容から。
重量のある鉱石を原材料とする鉱業では、山の上から下に向かい作業工程が設定される旧佐渡鉱山では、採掘場所の大立・高任地区から、鉱石選別のための高任・間ノ山地区、選鉱や製錬をする間ノ山・北沢地区を経て、生産品を積み出す大間港まで、約3kmにわたる生産ラインが設定されていた。
明治2年(1869)、政府はいち早く佐渡鉱山を官営化すると同時に、お雇い外国人たちを派遣して世界の最新技術を次々と佐渡に取り入れていった。この結果、佐渡鉱山は近代的な鉱山へと変貌を遂げた。明治20年代には、国内の「模範鉱山」と目されるようになり、生産量・技術ともに国内の貴金属鉱山をリードする存在となった。
昭和に入り、戦争の影が色濃くなると、国策により金銀の大増産がはかられるようになり、北沢地区では北沢浮遊選鉱場や50mシックナー、高任地区では粗砕場などが次々と建造された。この結果、昭和15年(1940)には、年間の金生産量が1,537Kgとなり、佐渡鉱山における年間最高生産量を達成した。
昭和27年(1952)の佐渡鉱山の大縮小により、北沢浮遊選鉱場をはじめ数多くの施設が閉鎖された。その後も操業は続けられたが、拡脈の枯渇と金価格の低下などによって平成元年(1989)に休山となった。日本で最も早い鉱業の近代化が進められた旧佐渡鉱山は、一連の施設を良く残す貴重な文化財であるとしてヽ国指定史跡としての保護がはかられている。
【佐渡金山・参考サイト】
http://www.sado-kinzan.com/
史跡・佐渡金山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%B8%A1%E9%87%91%E5%B1%B1
ウィキペディア
http://www.visitsado.com/03amuse/04od/od-find-id.php?id=b710020
佐渡観光協会
http://www1.sphere.ne.jp/sado-bus/map/kinzan/index.html
観光地 佐渡金山
http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/sadokinzan01.html
気ままに鉱山・探鉱めぐり
http://nats12.cool.ne.jp/NATS/HOKURIKU/SADO/sado_1.html
NATS
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n05-4.htm
未来航路
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写真撮影:2010.08.03
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2010年 地理の部屋と佐渡島 sadotiri
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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ありがとうございます。実に詳しい
説明をいただきました。これからも
何かありましたら教えてください。
正確には昭和6年から搗鉱工程の泥鉱処理を青化法から浮撰法に切り替えたので違わないとも思いますが、手前の施設は浮遊選鉱施設なので手前、施設跡を正面から見て右の方が浮遊選鉱場跡となるかなと、すみませんね変なこと言いまして、佐渡の事が載っていて思わず見入ってしまいました。今後コンクリートの状態保存や石垣の保存をどうできるか課題は多くあると思いますが、残したいものですね。ちなみに低品位石英質金銀鉱に浮遊選鉱法を適用したのは独自の技術開発だったそうですよ。
失礼いたしました。
いつまでもこの風景をキープしてもらい
たいものです。
大切にしていっていただきたいです。
>シアン化物で、金銀鉱に対する湿式製錬法
の一の一つだとか。
ありがとうございます。裕さんのように詳し
い方がいますと、少しずつですが、内容が
補完されていくような気がします。
1.5t=1,500,000g 、こんにち1g≒3,500円
ここまでの計算には、疎いので間違いなければ約50億・・・
金貨の収集は単なるサラリーマンであったわたしには手が届かなかった趣味だったな~とふり返っていますが。
青化精錬所会社の名前かと思ったら、(理工系で育ったわたしですが愚かなことで)
シアン化物で、金銀鉱に対する湿式製錬法の一の一つだとか。
佐渡にいまして、金山を取り扱うことは
あまりなかった様な気がしています。
少しだけ佐渡鉱山の北沢地区からの風景
を紹介します。
ありがたい補足説明感謝です。
当方はハンドブックを持っていないので
大助かりです。また何かいただけるもの
がありましたらよろしくお願いします。
見せていただき、siawase気分です。
楽しめました。
ありがとうございました。
ブログ交流って、いいものですね。
昨日も、コメント&応援ポチに、恐縮です。
「まるごと佐渡ハンドブック」によると北沢の石炭火力発電所により佐渡鉱山の本格的な電化が始まったそうです。1908年に完成し500Kwの電力によって蒸気機関を電動機に替えられていくことになりました。この後島内に発電所が増えていくことになるが、発電機は60Hzだったので、東北電力の配電地域の中で、佐渡だけが異色の60Hz地域となりました。
そうでしたか。これでずいぶん旅慣れている
のも頷けました。ありがとうございます。
お知らせいただき。
ライトアップ。当方もこの地を見てそう
思いました。暑い日でしたが、何人かの
人たちが草刈りをしていました。やはり
いったん施設として整備し始めたわけで
すから、本格的環境維持が始まっている
なと思います。もちろんライトアップにも
たえるようにでしょう。
そうでしたか。発電所跡の展示を
ごらんになられたのですね。当方も
この取材時中に入ってみました。
係の方はいませんでしたが、写真と
説明書きを読むだけでもまあ概要は
つかめましたので、ありがたい施設
だと思いました。
そうですね。今色々整備されている感じです。
歴史的価値を再認識・アピールするには今し
ばらく時間がかかりそうです。世界遺産登録
の方は、可能であれば嬉しいですけど、あま
り無理は言わぬ方が良いだろうと思っていま
す。
動物園は子供を対象とした企画孫のために親が申し込みしました、3歳のときデトロイトで1年ほどおりましたので、多少はっ話せるのです。
なるほど、ジェンキンスさんねぇ。
実は奥様は見かけていますが、
ご主人の方はまだなのです。
さて、伊豆の土肥金山。いつ頃開発
されたのでしょう。日本には過去
沢山の金山があったようです。
世界遺産入りを目指しているせいでしょう。
色々な施設の再発掘というような感じで、
様々な施設が整理整頓されている感じです。
おかげで、歴史的価値を再確認できる感じ
です。
いつかは佐渡へ。機会ができますと
いいですね。金山、たらい船。
佐渡と言いますとこのイメージ強い
ですが、他にも色々ありますので、
是非であります。
ありがとうございます。今回は金山本体と
言うより、精錬施設が中心です。山の方は
今回取材をしておりませんので、別の機会
に紹介したいと思います。また、来年お越
しが決まりましたらご一報を..。
少しは事前情報などを提供できたらと思います。
ノスタルジックで良い雰囲気ですね。
ライトらしき物が見えますが
ライトアップもするんでしょうか?。
ちゃんと整備したら素晴らしい史跡に成りそうです。
金は取れなく成っているようですが
新たな観光名所としての「金の卵」なんですね。
行ってみたくなりました。
この遺構全体はまさに金山の栄光を象徴するような光景ですね。ローマ帝国の遺構のよう、と形容してもおかしくないような壮大な雰囲気です。
佐渡を世界遺産に、という運動もあるようですが、なんとか成功するといいですね。
漸く待望の金山の話がでました!
佐渡といえばまず金山と能舞台、いまでは
ジェンキンスさん。
駿河の国の東の伊豆に土肥金山が観光資源と
して頑張っています。
佐渡金山、テレビでは見ますが、
目の前の画像で見るのは初めてです
歴史本を読みますと、悲惨な動労条件ですが、
今でも、そのままの状態で残ってるのですね、
もっと酷い状態だと想ってただけに、
保存状態も良くて、感激です、
回りの風景の緑も美しくて、ホット!させられます、
このままの状態で、残して欲しい財産ですね
佐渡は行ったことがありませんのでこの金山跡とかたらい舟ぐらいでしょうか。
古いレンガの建物に往時を忍ばせますね。
鉱山遺跡は近くには銀山があります。
いろいろ紹介していただいてまた行った時には
感動が違いますね。
夏の厳島神社参拝にお付き合い頂、有難う御座いました!
四国新居浜の別子銅山跡・島根の石見銀山と銀と銅は見たのですが、此処の金山跡は見た事は無く是非一度は見て見たいと思っている場所です。
歴史を感じる素晴らしい施設跡ですね~!
佐渡のマチュピチュ「佐渡金山跡」に来年は必ず行って見ようとおもいます。
素敵な風景を見せて頂、感謝です!
今朝はマレーシア観光の思い出をアップしましたので遊びにお越し下さいネ。
それではまた!・・・コメント!お待ちしていま~す!
いつかはと思っていたのですが、やっと
訪ねることができたのです。この風景は
意外でした。はっきり言いまして、見逃
していたわけです(笑)。
なお、少し観光地的雰囲気がありました。
ところにある、金山跡くらいしか知りません。
こんな遺産があったのですね。
少し手を加えれば観光施設として使えそうです。
「選鉱場おけさ」というのがありますが、ここから
生まれたのでしょうか?
佐渡おけさにもいろんな節回しがあるようです。
まさに遺産でした。佐渡だけでなく、
全国各地に鉱山・炭鉱があると思い
ますが、産業遺産として維持される
ものが増えると良いなぁと思いました。
今回佐渡金山を再認識する機会となりました。
佐渡島民でも知らないことだらけです。
少し相川方面の風景を続けてみます。
金山以外の風景も紹介できます。
すばらしい遺産ですね。
こういうものは、大切に残して欲しいものです。
また、下の風景もすばらしいですね。
今日も、熱暑の予感です・・・。
歴史の重みを感じさせますね。
しかも良い状態です。
是非ともこのままの状態で保存して、世界遺産に。
相川の懐かしい風景を有難うございます。
佐渡の歴史上に残る遺産です。
世界遺産への登録を願いつつ拝見しています。