Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

京都暮らし90. 四寺廻廊その四

2009年09月05日 | field work
 この地域は飽きたといいながら、もう一つまわらないと四寺廻廊にはならない。もう少しおつきあいを。
 四寺廻廊の最後は、誰しもが訪れる中尊寺である。松尾芭蕉はここでも名句を残している。
「五月雨の 降残してや 光堂」 芭蕉
 光堂とは金色堂であるが、歴史屋に言わせれば、「仏と人との間に介在する光とその光の彼方にある盛衰の歴史に芭蕉のまなざしが向けられていた」そうだが、デザインの立場から見れば、五月雨の鬱蒼とした杜のなかに燦然と光を放つ姿を感覚的に捉えたにすぎない。歴史屋は大げさな解釈がお好きなようだ。一体歴史屋は、芭蕉に合ったのかい!?。
 金色堂は、コンクリートの壁に囲まれた建物の中にあり、さらにガラスケースの中に鎮座している。そうなると建築ではなく建築サイズの工芸品である。金を張り巡らしたからといって、私にはあまり興味がもてない。やはりここも退屈だ。
 だから金色堂を早々に退散し境内を歩いていると、覆い堂があった。但し書きによれば、昭和30年代の修復まではこの覆い堂が金色堂を囲っていたのである。そうであれば壁の隙間から、燦然と輝くお堂が見え隠れし、境内の緑に少しは映えていたのかも知れない。その方が芭蕉の句の世界に近いだろう。
 現在中尊寺一体は、世界文化遺産登録を目指している。だが、コンクリートで覆われた工芸品金色堂と周辺寺院の廃墟ぐらいでは無理でしょう。中尊寺には、古い僧房も多いのだが、山中に点在しており寺としての構えがない。それにこの地域の真ん中を、東北自動車道が走っており歴史景観とは言い難い。昨日の研究仲間の話では、最近のユネスコは世界文化遺産の登録を厳しくしているとのこと。まあ、登録は無理筋と笑いながら、ここを後にした。
 それにしても、私は拝観料と300円のバス回遊券くらいしか、使わなかったので、あまり地域振興に貢献していない。平泉にも歴史を紹介する施設はあるようだが、つまらなそうなのでパスした。そのために所定の時間より、2時間早く回ることができた。おかげで夜の8時頃には、京都についた。
 「四寺廻廊」そして松尾芭蕉の句という、言葉によるつながりをもった四寺であった。それにしても、どこか暗さを感じさせてくれる。それはこの地方のそして東北という風土の体質なのだろうか。建築学会の論文発表という機会がなければ、訪れることがないところばかりであった。もし自分の旅行であれば、もう少しデザイン的に面白そうなところにゆくけど。

平泉・中尊寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする