Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし101. 顔の見えない世界

2009年09月16日 | Kyoto city
 時折鉄チャンが撮影した古い写真が掲載されているブログ(注)を見ている。地方の大変ローカルな駅の写真では、人間や民家や鉄道のスケールに違和感が無く、敷地もスペースがあり、そして背後の山々が堂々と大きく見えるのである。多分大きな建物などがなかった時代であり、大変のどかな情景とともに、ランドスケープの大きさが感じられた時代だ。そんな写真を見ていると、構造物は木造2階建て位が日本の風土的スケールだと思われる。
 というのも、先日出かけた信州上田を思い出していたからだ。そこではマンションが建ち、鉄道は田畑の中の高架という大がかりな土木構造となって新幹線が走り、鉄塔が林立するといった具合であり、山などが堂々と大きく見えることはなかった。
 人間の感覚は何かと比較してのことだから、それが風土的スケールから高層マンションや高架や鉄塔といった大規模スケールに変われば、グランドレベルからのビスタは悪くなり、山々はそれなりの規模でしかみえない。つまりランドスケープも小さく見えるようになったといえよう。
 上田から別所温泉に行くローカル鉄道も、ターミナル駅は高架となり、都心を走っていたステンレスボディの車両があてがわれ、少しは温泉地までの所要時間も短縮されたのだろうけど、別に新しい車両にする必要もなく、また時間を短縮しなくても良いのにと思った。時間がかかる分、見知らぬ人達と車内で顔の見えるコミュニケーションしていれば、それはそれで楽しいすごし方であったと思う。
 そうしたコミュニケーションが、現在ではインターネットに変わったのだが、 お互い無責任に好き放題にバンドルネームという匿名で顔が見えない者同士のコミュニケーションとなってしまった。
 まとめていえば、グランドレベルからの視界は悪くなり、人々の顔が見えないコミュニケーションが、現代社会の悪しき特徴になった。

注:http://6.fan-site.net/~haasan55/
大谷祖廟界隈
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
シャッター1/160,絞りf6.7,焦点距離85mm,ISO100,F2モード
コメント
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