8月28日は、京都に戻る予定だ。8時代の新幹線で仙台を発てば昼過ぎには京都につく。そう思ったとき「四寺廻廊」という言葉を思い出した。時間もあるし、残る後二つのデザインを視察してゆくか。そこで東北線のローカル列車を3本乗り継いで、平泉に向かった。
平泉は、全くホスピタリティを感じさせない閑散とした街だ。東北のなかでは少しましなのかもしれないが、私は、必要がなければ二度とくるような街ではない。
先ずは毛越寺。本堂はあるが、それ以外にも多くの寺院が浄土式庭園に向かって建っていたようであるが、いまでは跡を記した柱だけが建っていた。だがその浄土式庭園なのだが、どうも敷石などが妙に綺麗であり、現代のランドスケープ・デザインの手法で再現されたのだろうと思われた。だが調べると往事の形態をそのまま残していると記されている。少し拍子抜けしたが私には、いささか退屈な庭園だと思いながら視察していた。
観光ポスターでは、古代の催事の時の意匠をまとった人達が撮されていたので、それは大変絵になるのだが、何もない庭園は至極退屈である。催事があってはじめて風景になるのだろう。毛越寺の催事を調べていたら、曲水の宴や送り火が行われている。平安時代に端を発するこの地域は、あくまで京都志向が強いのだろうと思われた。
デザイン研究の視察とはいえ、そのような寺を京都人の私が見ても、おもろうないので次へ行くことにした。
平泉・毛越寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
平泉は、全くホスピタリティを感じさせない閑散とした街だ。東北のなかでは少しましなのかもしれないが、私は、必要がなければ二度とくるような街ではない。
先ずは毛越寺。本堂はあるが、それ以外にも多くの寺院が浄土式庭園に向かって建っていたようであるが、いまでは跡を記した柱だけが建っていた。だがその浄土式庭園なのだが、どうも敷石などが妙に綺麗であり、現代のランドスケープ・デザインの手法で再現されたのだろうと思われた。だが調べると往事の形態をそのまま残していると記されている。少し拍子抜けしたが私には、いささか退屈な庭園だと思いながら視察していた。
観光ポスターでは、古代の催事の時の意匠をまとった人達が撮されていたので、それは大変絵になるのだが、何もない庭園は至極退屈である。催事があってはじめて風景になるのだろう。毛越寺の催事を調べていたら、曲水の宴や送り火が行われている。平安時代に端を発するこの地域は、あくまで京都志向が強いのだろうと思われた。
デザイン研究の視察とはいえ、そのような寺を京都人の私が見ても、おもろうないので次へ行くことにした。
平泉・毛越寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED