清水寺の青龍会にでかけた。青龍とは、風水の四神相応の考え方に由来し、都の四方を守る神獣の一つで東を守っている。支配色が決まっており、青龍は青つまり緑と定まっている。ちなみに北は玄武で黒、南は朱雀で赤、西は白虎で白である。
四神相応は、古来からのの都市をデザインする際の考え方であり、京都の街もこれに従ってつくられ、シンボルカラーが定められるなど、いかにもデザイン的関心を思い起こす催事である。
この 十六善神を従えた行道は、お経を唱えながら、観音加持の「八功徳水」(はちくどくすい)の法水を振りまき、 境内や門前町を練り歩く。
どうも私の眼の錯覚だと思うが、仮面をかぶった若い巫女の髪が茶髪にみえてしまって。そうなると、なんだ普通の平民・ギャルのアルバイトかいな、と思ってしまうのだ。前夜は彼氏と千々に乱れて遊んでおいて、今日はアルバイト巫女で楚々として法水をまくですかぁー、と仮面をかぶっているために余計な詮索をしてしまうのも面白い。それに巫女さんは神社にはいるが、お寺では余り聞かないというのもそう思う理由だ。清水寺の中に縁結びの地主神社があるから、そこの巫女さんかと想像する。それにしても彼女達から法水を授けてもらっても、ありがたみは薄いと思ったりして・・・。
衣装デザインは京都府出身のワダエミである。従って、この行道の衣装をみていると、いやでも黒澤明の映画「乱」を思い出す。どうしてここに仮面をかぶった巫女や武者姿があるのかわからないが、着物のアップリケを除けば、それは正しく黒沢映画の世界である。デザイナーが同一人物というのは、どうしてもそんな連想が働いてしまう。
催事の縁起が風水という都市デザイン、シンボルカラーが定まり、ワダエミの個性漂う衣装といった具合に、いかにもデザインを意識させてくれる催事であり、お寺さんの行事としては大変ユニークだ。従って、あまり宗教臭さが少ないのだが、古くからの伝統行事とくらべると、どこか軽い空気が流れていることを感じていた。そんな軽さが現代の空気なのだろう。
清水寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
シャッター1/80,絞りf8,焦点距離16mm,ISO100,F2モード
四神相応は、古来からのの都市をデザインする際の考え方であり、京都の街もこれに従ってつくられ、シンボルカラーが定められるなど、いかにもデザイン的関心を思い起こす催事である。
この 十六善神を従えた行道は、お経を唱えながら、観音加持の「八功徳水」(はちくどくすい)の法水を振りまき、 境内や門前町を練り歩く。
どうも私の眼の錯覚だと思うが、仮面をかぶった若い巫女の髪が茶髪にみえてしまって。そうなると、なんだ普通の平民・ギャルのアルバイトかいな、と思ってしまうのだ。前夜は彼氏と千々に乱れて遊んでおいて、今日はアルバイト巫女で楚々として法水をまくですかぁー、と仮面をかぶっているために余計な詮索をしてしまうのも面白い。それに巫女さんは神社にはいるが、お寺では余り聞かないというのもそう思う理由だ。清水寺の中に縁結びの地主神社があるから、そこの巫女さんかと想像する。それにしても彼女達から法水を授けてもらっても、ありがたみは薄いと思ったりして・・・。
衣装デザインは京都府出身のワダエミである。従って、この行道の衣装をみていると、いやでも黒澤明の映画「乱」を思い出す。どうしてここに仮面をかぶった巫女や武者姿があるのかわからないが、着物のアップリケを除けば、それは正しく黒沢映画の世界である。デザイナーが同一人物というのは、どうしてもそんな連想が働いてしまう。
催事の縁起が風水という都市デザイン、シンボルカラーが定まり、ワダエミの個性漂う衣装といった具合に、いかにもデザインを意識させてくれる催事であり、お寺さんの行事としては大変ユニークだ。従って、あまり宗教臭さが少ないのだが、古くからの伝統行事とくらべると、どこか軽い空気が流れていることを感じていた。そんな軽さが現代の空気なのだろう。
清水寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
シャッター1/80,絞りf8,焦点距離16mm,ISO100,F2モード