Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし191. 京都から東京へ

2010年01月04日 | Tokyo city
 新年の朝、京都の露地に拍子木の音が聞こえると、町内の面々が近所のお稲荷さんに集まり、お屠蘇をいただきながら、正月の挨拶をするしきたりがあった。こうすると一々各戸を挨拶のために回らなくてすむので、毎年続けられている町内の催事である。空気がキリッとしまった大変寒い京都らしい元旦であった。
 昼過ぎに私は、新幹線で東京の上さんの実家に向かった。関ヶ原あたりから新幹線は徐行を始め、周囲は雪の風景であった。二帖のレールが微かに見える程度に雪が積もっていたようだ。シベリアからの寒波が関ヶ原を通り抜け名古屋まで吹雪いたようだった。途中富士山がクッキリと見えていた。
 東京も冷え込んでいた。都心で所用を済ませ、夜に染井墓地の近くにある実家にころがりこんだ。ひとしきりおせち料理をいただきながら、程なく寝てしまったようだ。
 翌朝二日は、1920年に開始された箱根駅伝往路のテレビ中継があった。紺碧の湘南海岸を走りすぎ箱根の山を越えて芦ノ湖にゆくコースの風景が大変面白く、毎年往路だけを朝飯を食べながら歓談しつつ見ている。今年は、箱根の山越えの区間で東洋大学の6人ごぼう抜きなんてのがあったので、最後まで見てしまった。東京から箱根まで走り続け、そして疲れた体を箱根の温泉でいやしながら新年の宴会をしたほうが楽しいだろうと私は考えているから、翌日の東京行きの復路はいらないんじゃないかといつも思う。
 こんなことを考えるのも、我が母校筑波大学(旧東京高等師範学校)は、箱根駅伝の創始者金栗四三の呼びかけに応じて、早稲田や慶応らと共に第一回から参加してきた老舗大学であるからだ。でっ最近はというと、いつも予選落ちしているので、時折学連選抜で母校選手が登場する程度に留まっている。これは大変悲しい。
 駅伝が終わり、近所の喫茶店にカレーと珈琲をいただきにゆき、お寺さんへ墓詣りにでかけ、多くの人で賑わう巣鴨のとげ抜き地蔵で初詣を行い、帰りしなに染井温泉でようやく二日ぶりに髭を剃った。東京も1,800m程掘ると温泉が湧くということだ。泉質は、塩分が多いので外傷には良いのだろう。
 そんなこんなであっという間に夕方となり、DVDでレッドクリフpart1を見ていたら、正月二日目の夜は過ぎていった。久しぶりに個人的にグータラな充実感を味わっていた。

新幹線車中から関ヶ原,撮影日2010年1月1日.
GF-1,G f1.7/20mm,×2倍,ASPH.
シャッター1/2000,絞りf2.5,ISO100.フィルムモード:ダイナミック.

2010年1月4日月曜日


 
 
コメント
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