ついに昨日の午後3時の台風予報をみると、宮崎沖で僅かに進路が東寄りになっているのではないか。微妙な差なのだけど、台風は大きくとがった鋭角三角形の頂点に位置しているから僅かな差で近畿直撃の可能性がなくなる。昼から関西の私鉄はストップしていたのに肩すかしでしたね。
昨晩20時の時点では、和歌山県に上陸したから、奈良、三重経由で愛知県半田市あたりを目指し、長野県を袈裟懸けにしてゆくコースに変わっていった。通過時点と高潮が重なる名古屋が心配ですね。(昨日の夜の記述)
今日は、台風一過の晴天。
さて沖縄のマイナーな風景も疲れるので一寸私達の都会に戻ろう。といっても沖縄のフィルムを現像したなかには、大阪を撮影したネガがはいっていたからなのだけど。
道頓堀側、1990年頃のニコンのレンズは逆光で時折ハレーションを起こす。それを除けば今のレンズと遜色がない性能。当時このレンズは個性がなく地味とする評価もあった。そんなことをいっていてはフィルム機材の活躍の場が滞る。ここは使うほかないだろう。
8月の暑い頃、しばしば大阪の役所へでかける用事があった。用事を済ませ真面目に帰るのはアホらしいのでフィルム機材ニコンF3+MD4にプロビアを詰めて大阪の街歩きをしていた。
この街と関わりを持った人にとっては、生活の端々に記憶に残る大阪の風景だ。一人一人の街と関わりをもったときに風景や街に意味や記憶が刻まれる。それを「意味づけられた風景」と呼んでおこう。大阪は、意味づけられた風景の街だ。だからこの街に関わりのない私が撮影しても面白いはずがない。
ならば、「深作欣二監督:道頓堀川1982年」でもみてみよう。松坂慶子のボディも麗しいのだが、ハスラーが大いに絡みつつ19歳の美学生と年上の元芸子の恋物語。そんな物語の背後に道頓堀川がある。この撮影監督の川又昂さんは、この川をどう撮ったか?。喫茶店の窓からみた川、そして夜のラストシーンぐらいだった。どう撮っても直線が続く単調な風景であるが知名度だけは高い。
意味づけられた風景を持った人間同士のつきあいがこの街の個性となるのだろうか。つまり大阪は住んでコミュニティと関わらないとおもろい街ではないのだろう。
そんな空気を感じながら私は早々に引き上げた。
ちなみに道頓堀川の始まりはこんな風景だ。あまり面白いモノではない。
2018年8月、大阪市道頓堀川
NikonF3、AiAF Nikkor50mm/F1.4、RDP2
デュープ機材:Canon EOS1DsMark3、EF macro50mm/F2.8