京都暮らしで何がよいか・・・ということを考えた。京都は、食・衣・住の世界である。なによりも食がいい。食べ歩いても、近所のスーパーで食材を買い集めても、やはり食の京都である。
それに京都は、名古屋や東京に比べれば空気が綺麗だ。一日出歩いていても、顔を洗わなければならないほど東京や名古屋の空気はよごれているが、山が迫った盆地の京都ではそんなことは少ない。多分空気が浄化されてしまう機能が残っているからだろう。風呂には、三日に一度でいいかと思うときもある。そんな感覚になるのは、昔の東京の生活感覚なのだが、それが普通に今も生きているのが京都である。空気が旨ければ、食も旨い。自明の利である。
食はなんといっても、私の家から歩いて行けるところにある錦市場がありがたい。東京ならば、築地の場外市場の近く(つまり銀座界隈ですが・・・)のホテルに住むようなものだ。錦市場で焼き魚と軽い総菜を調達すると、夕飯のおかずは揃ってしまう。あとはご飯と味噌汁をつくるだけだ。
それに私の家の周りには、普通に旨い食べ物屋さんが多い。つくるのが面倒なときは、食べにゆけばよい。そんな生活をしていたら、少し太った。
なんといっても、京都は、街の大きさが調度よい。例えば新幹線を降りて、バスに乗り換えるのに、歩いて10分はかかる名古屋や東京に比べ、京都は地下鉄の真上が新幹線だったりする。歩いて切符を買っても5分とかからない。そんなコンパクトシティ故の暮らしやすさがあるところが、京都なのであろう。京都の町は、横断しても歩ける距離である。タクシーを利用しても千円台である。狭いところに効率よく、収まってきた1300年の歴史を持つ古都ならではの暮らし方の知恵があるのかもしれない。
そして何よりも大切なことは、狭いところに様々な要素が数多くあって街が面白いということだ。ここが都市を勉強してきた人間にとっては、一番重要なところなのだ。
2009年、八坂神社・節分祭
CanonEOS40D、EF100-400mm/F3.5-5.6
それに京都は、名古屋や東京に比べれば空気が綺麗だ。一日出歩いていても、顔を洗わなければならないほど東京や名古屋の空気はよごれているが、山が迫った盆地の京都ではそんなことは少ない。多分空気が浄化されてしまう機能が残っているからだろう。風呂には、三日に一度でいいかと思うときもある。そんな感覚になるのは、昔の東京の生活感覚なのだが、それが普通に今も生きているのが京都である。空気が旨ければ、食も旨い。自明の利である。
食はなんといっても、私の家から歩いて行けるところにある錦市場がありがたい。東京ならば、築地の場外市場の近く(つまり銀座界隈ですが・・・)のホテルに住むようなものだ。錦市場で焼き魚と軽い総菜を調達すると、夕飯のおかずは揃ってしまう。あとはご飯と味噌汁をつくるだけだ。
それに私の家の周りには、普通に旨い食べ物屋さんが多い。つくるのが面倒なときは、食べにゆけばよい。そんな生活をしていたら、少し太った。
なんといっても、京都は、街の大きさが調度よい。例えば新幹線を降りて、バスに乗り換えるのに、歩いて10分はかかる名古屋や東京に比べ、京都は地下鉄の真上が新幹線だったりする。歩いて切符を買っても5分とかからない。そんなコンパクトシティ故の暮らしやすさがあるところが、京都なのであろう。京都の町は、横断しても歩ける距離である。タクシーを利用しても千円台である。狭いところに効率よく、収まってきた1300年の歴史を持つ古都ならではの暮らし方の知恵があるのかもしれない。
そして何よりも大切なことは、狭いところに様々な要素が数多くあって街が面白いということだ。ここが都市を勉強してきた人間にとっては、一番重要なところなのだ。
2009年、八坂神社・節分祭
CanonEOS40D、EF100-400mm/F3.5-5.6