京都人は、話好きである。街角で、私が持っていたライカを肴に、見知らぬ叔父さんと一時間も立ち話をした事がある。またカフェで私がデジタル一眼レフの掃除をしていたときは、隣の席の叔父さんが「もうじき定年で何か趣味をと考えているんですが・・・・」といった具合に、見知らぬ人に声をかけられ、暫く余暇談義が続いた。
こうした気質は、大阪人もそうであり、関西人に多いコミュニケーションが好きな気質である。概して関西人とは、どこか根が明るく楽しい時間がすごせる。
東京人は、よく一緒に飯を食べにゆきたがる。飯をつつきながら、本音をききたがるようだ。基本的にコミュニケーションが嫌いではないようだ。私も大学の先生からも、よく昼飯に誘われたことがある。これもネアカなのだろう。
これに対して名古屋人の気質は、明らかにネクラである。もとから外に冷たく内に暖かいという内弁慶だから、先ず見ず知らずの他人に声をかけることはない。名古屋人は、先天的にコミュニケーションが下手な人種が多い。
私が、名古屋のいきつけのハブで飲んでいたら、珍しくつまったように話しかけてくる叔父さんがいる。あきらかにべんちゃらの類で、聞いていてもつまらない。それに言葉にトゲがあり、耳障りがものすごく悪く、また後味も悪い。つまり内弁慶だから話し下手なのである。
また私が、オカマのマスターとフィリピーナがいる浄心のパブで飲んでいたとき、目前に、夫婦でお酒を飲んでカラオケを歌ったいたのには驚いた。もともと夫婦でくるようなお店ではないのに、名古屋人は内弁慶だからオカンとしかコミュニケーションできないのだろう。そんなことを考えながら、フィリピーナと遊んでいたら、オカンがキッとこちらを睨んでいた。
私は、「オカンのくるとこじゃねーよ!」という視線で睨み返したが・・・。
そんなパブも数年前に店をたたみ、その後オカマのマスターも他界してしまった。だから、名古屋の私の夜はものすごく退屈になったのである。
そんな時、運良く夕べは、名古屋に住む俳人(静岡県人)から電話があったので、浄心の赤提灯で飲んでいた。たしかフィリピーナのコンパニオンをはべらせて、フィリピン・リゾートでプチ同窓会をしようという話題で大いに盛り上がった。そのうち、突然俳人が「行くぞー!!」と大声をはりあげて席をたち店から出て行った。「えっ!!、これからフィリピンかい!??」・・・酩酊。
2009年、京都イノダコーヒー店
CanonEOSkissDigital,EF60mm/f2.8
こうした気質は、大阪人もそうであり、関西人に多いコミュニケーションが好きな気質である。概して関西人とは、どこか根が明るく楽しい時間がすごせる。
東京人は、よく一緒に飯を食べにゆきたがる。飯をつつきながら、本音をききたがるようだ。基本的にコミュニケーションが嫌いではないようだ。私も大学の先生からも、よく昼飯に誘われたことがある。これもネアカなのだろう。
これに対して名古屋人の気質は、明らかにネクラである。もとから外に冷たく内に暖かいという内弁慶だから、先ず見ず知らずの他人に声をかけることはない。名古屋人は、先天的にコミュニケーションが下手な人種が多い。
私が、名古屋のいきつけのハブで飲んでいたら、珍しくつまったように話しかけてくる叔父さんがいる。あきらかにべんちゃらの類で、聞いていてもつまらない。それに言葉にトゲがあり、耳障りがものすごく悪く、また後味も悪い。つまり内弁慶だから話し下手なのである。
また私が、オカマのマスターとフィリピーナがいる浄心のパブで飲んでいたとき、目前に、夫婦でお酒を飲んでカラオケを歌ったいたのには驚いた。もともと夫婦でくるようなお店ではないのに、名古屋人は内弁慶だからオカンとしかコミュニケーションできないのだろう。そんなことを考えながら、フィリピーナと遊んでいたら、オカンがキッとこちらを睨んでいた。
私は、「オカンのくるとこじゃねーよ!」という視線で睨み返したが・・・。
そんなパブも数年前に店をたたみ、その後オカマのマスターも他界してしまった。だから、名古屋の私の夜はものすごく退屈になったのである。
そんな時、運良く夕べは、名古屋に住む俳人(静岡県人)から電話があったので、浄心の赤提灯で飲んでいた。たしかフィリピーナのコンパニオンをはべらせて、フィリピン・リゾートでプチ同窓会をしようという話題で大いに盛り上がった。そのうち、突然俳人が「行くぞー!!」と大声をはりあげて席をたち店から出て行った。「えっ!!、これからフィリピンかい!??」・・・酩酊。
2009年、京都イノダコーヒー店
CanonEOSkissDigital,EF60mm/f2.8