今年も2月3日の節分に、市内の催事の徘徊をした。今年は平安神宮から始めた。そのなかの一つが「大儀之儀」である。これは、平安朝の頃の追儀(ついな)の行事を、昭和に入ってから時代考証を踏まえて復元したものである。写真は、黄金4つ目の面をつけた大舎人(おおとねり:大男)だそうである。
平安神宮自体は、東京への遷都と幕末の混乱で疲弊した京都の復興の町おこし事業が結実して、 明治28年に創建されたものであることが、神社の由緒でわかり、京都の社寺では著しく新しい。現在では、遅咲きの桜の都市名所であるとともに、多くの参拝客を集める大変著名な神社である。
現在でも全国で町おこし事業が行われているが、神社の復興というのは、自治体などの助成制度では不可能なので、前例は少ないだろう。 実際に行われている町おこし事業のように、商店街などによる安物の集客イベントなどを行ったところで、すぐに飽きられるのは目に見えている。
だから地域の核である中心となるシンボルをつくりだし、催事の復元によってリピータを増やし、遅咲きの桜といった他との差別化を計るといった平安神宮における事業方法は、優れた町おこしだといえる。実際にこの事業によって京都は復興を遂げ、現在毎年5000万人の近くの来訪者をみている。
そんな見方をすれば、平安神宮の一連の事業は、歴史的に優れた町おこし事業モデルだとする、解釈も生まれるだろう。町おこしのポイント、それは地域の核となる精神的なシンボルを、歴史性を踏まえて復元しながら、他地域と差別化する施策を盛り込みながら、定着させてゆくことにあるといえよう。
2009年平安神宮・節分祭
canonEOS40D,EF100-400mm/f3.5-5.6
平安神宮自体は、東京への遷都と幕末の混乱で疲弊した京都の復興の町おこし事業が結実して、 明治28年に創建されたものであることが、神社の由緒でわかり、京都の社寺では著しく新しい。現在では、遅咲きの桜の都市名所であるとともに、多くの参拝客を集める大変著名な神社である。
現在でも全国で町おこし事業が行われているが、神社の復興というのは、自治体などの助成制度では不可能なので、前例は少ないだろう。 実際に行われている町おこし事業のように、商店街などによる安物の集客イベントなどを行ったところで、すぐに飽きられるのは目に見えている。
だから地域の核である中心となるシンボルをつくりだし、催事の復元によってリピータを増やし、遅咲きの桜といった他との差別化を計るといった平安神宮における事業方法は、優れた町おこしだといえる。実際にこの事業によって京都は復興を遂げ、現在毎年5000万人の近くの来訪者をみている。
そんな見方をすれば、平安神宮の一連の事業は、歴史的に優れた町おこし事業モデルだとする、解釈も生まれるだろう。町おこしのポイント、それは地域の核となる精神的なシンボルを、歴史性を踏まえて復元しながら、他地域と差別化する施策を盛り込みながら、定着させてゆくことにあるといえよう。
2009年平安神宮・節分祭
canonEOS40D,EF100-400mm/f3.5-5.6