Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし200. ゑべっさん撮影談義

2010年01月13日 | Kyoto city

 このシリーズも200回になってしまった。京都暮らしといってしまえば、なんでも包括できる概念の便利さから、使っている名称なのだが、今後もあまり変える必要性がなさそうだ。
 ゑびす祭は、撮影が難しいと思われる。狭い境内に人混みであり、通りにまで人が押し出てくるので、雰囲気は良いのだが、それを伝えるられるカットは撮りにくいというのが私の実感である。
 こういうときは、臨機応変に画角が変えられ、且つフルオートで撮影できる標準ズームレンズが便利である。それ位でないと人混みの中で撮影できない被写体が多い。 このような撮影の時、二種類のレンズをつけたボディが2台あると大変便利だといつも思わされる。
 今日の画像は、夕方だったので明るい標準レンズを用いた。この50mmのレンズは個人的に好きなのだが、如何せん被写界深度が相当に狭いと感じさせてくれた。それもそのはずで、最低シャッター速度を1/250に設定しておいたら、いつも絞りf1.4の開放状態だからである。ボケると綺麗なのだが、外れるともうボケまくる。
 ウェブを開くと、フルサイズデジタル一眼レフ・ニコンD800ボディの発表が間近なようである。そのスタイリングもトレンド筋に画像がアップされていて、ダミーなのか真なのかはわからないが、スタイリングの良さを予感させてくれる。そうなると、このボディにFujiのEXRセンサーを搭載した、FujiS6が出てくると個人的に類推している。おそらく画素数が2,400万画素ぐらいかも知れない。であれば欲しいね。これは、想像に想像を重ねた話だが。
 ところでゑべっさんは、撮影を行うよりも屋台を徘徊してジャンクフードを楽しむ方が正解だと思う。

京都市・大和大路通,2010年1月10日撮影.
Fuji FinepixS5pro,AF Nikkor 50mm,f1.4D.
シャッター:1/250,絞りf1.4,ISO1600,カラーモードF2.

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京都暮らし199. ゑべっさんのお祭り

2010年01月12日 | Kyoto city
 1月8日~12日迄、ゑびす神社のお祭りである。商いの都の神様に詣で、「商売繁盛笹もってこい」のかけ声に誘われて、出かける人は多い。拝受された笹は、下に向けてはならず、この画像のように上にしたまま家に持ち帰り、飾り付ける。そうしないと福が逃げるというわけだ。
 いつもこの時期は大変寒い。寒い中の祭であることが記憶に残る。十日ゑびすで最盛期となるが、その頃は人手も大変多く、夕方頃は神社の外の通りにも延々と人々の列ができる。拝殿にたどり着くまでに、30分以上かかるときもあるだろう。
 冬の寒さとともに、通りのお店では、えべっさん特別バージョンのお菓子をだしたり、また参道脇の酒蔵が売り出す酒粕が大変美味であったり、そして屋台が建ち並んで大変賑わっており、どこか楽しい冬の記憶が残る催事である。

京都市・恵比須神社,2010年1月9日撮影.
Fuji FinepixS5pro,AF-S Nikkor 16-85mmG,f3.5-5.6D.
シャッター:1/250,絞りf4,24mm,ISO160,カラーモードF2.
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 京都暮らし198. トホホの1日

2010年01月11日 | Kyoto city
 今日は、原稿書きの仕事をキャンセルして午後から休日出勤だった。二人の打合せ者の予定にあわせたのだからしょうがない。でっ急がないので名神高速バスで出かけた。バスで名古屋に移動中に、メールで不幸があっていかれませんだと。ドタキャンですか。移動中に言われても遅いぜ。バスは名古屋に向かってるぜ。 大阪人のトホホである。
 まあしょうがない。後一人は打合せ予定だから、そのまま大学に向かう。でっ打合せに来たのはいいけど、全く打合せにならない論文の貧困さだ。あきれかえって、言うべき事もない。名古屋人のトホホであった。
 結局往復5時間バスに乗って打合せ時間は40分だった。こんなトホホの時間の使い方はない。家で原稿をかいていれば、数枚は書けたのに。しかも交通費は自腹だ。唯一の救いは、京都で夕飯が食べられたことだろう。
 さて京都の飲み屋のカウンターで飯を食べていたら、隣の上品な年配の叔父さんが、話しかけてくる。葉巻の話に始まり、次第に写真を撮りだして見せてくれた。長島スパランドのライトアップの催事に土地を貸しているんですよ。なんだ三河人かいな。なんかトホホに近い。
 さて、写真は、八坂神社の蛭子祭りである。昨日四条通を練り歩いていた時に遭遇した。この時期は、ゑびす神社と八坂神社とでやっている催事だ。それにしても、背後のヱビスビールのCMはなんなんだ。こういうところに抜け目がないのが京都人である。

京都市・四条通,2010年1月9日撮影.
Fuji FinepixS5pro,AF-S Nikkor 16-85mmG,f3.5-5.6D.
シャッター:1/250,絞りf5.6,85mm,ISO1250,カラーモードF2.
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京都暮らし197. 失われたサービス

2010年01月10日 | Kyoto city
 東海道新幹線の話を続けよう。国鉄時代最後の新幹線は、なかなかよかった。あのグリーンと食堂車のある二階建て車両があった時代である。
 グリーン車も料金が普通車と比べてそれほど違わず、利用しやすかった。グリーン車に乗るときはパーサーがドアのところで、出迎えてくれる。彼女達に、チケットを見せながら「ハンバーグ!」と言って席に座っているとお絞りを配る頃に、ハンバーグ定食を持ってきたという豪の者もいた。
 私も自由席に座れないときは、食堂車で朝飯を極めてゆっくり食べながら、二階からの風景を見て時間をつぶしたことがある。定食を1時間もかけて食べられたのでは、食堂車も営業があがったりだろう。
 二階建て付の新幹線は、サービスは良かったのだが、スピードが遅いのである。はたから見ていると「ドンガメ」とでも呼びたくなるような、重そうな車両を連結しているのであるから、スピードが出ないようだ。少し列車が遅れると、回復運転をするのだが、ほとんど効果がない。国鉄最後の時代で、あまりスピードアップするだけの意欲がなかったのだろう。
 今では、グリーン車も料金が高くなり、いつも空いている。つまり不人気なのだ。それに食堂車もなくなり、極めてビジネスライクなスタイルとなり、実につまらない。
 だから最近では新幹線に長く乗るときは、弁当持参である。京都駅の階段下には地元老舗を集めたお弁当屋があり、柿の葉寿司や鯖寿司もある。また東京駅から乗るときは、いつも崎陽軒のシュウマイ弁当を買い込んで乗ることが多い。言い換えれば、車内販売のお弁当は、高くて不味いのである。
 日本の鉄道で食堂車があるのは、寝台特急カシオペアとトワイライトエキスプレス位だろう。国鉄が民営化されて営業本意のJRとなり、鉄道を利用していても一番つまらなくなった点である。

京都市・二寧坂,2010年1月7日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar T*, f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf11,ISO320,カラーモードF2.
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京都暮らし196. 新幹線の選び方

2010年01月09日 | Kyoto city
 先週から今週にかけて、東京まで新幹線で二往復した。お正月休みを実家ですごしたり、母のお見舞いとか、色々と雑用が生じたので。
 私は、新幹線が通勤の足でもあるから毎週利用している。それだけJR東海には、金額からいっても大変な貢献をしているわけだが、京都の老舗のように、あうんの呼吸で対応してくれるわけではない。そのあたりがじつに寂しいが。
 私は、新幹線に乗るときは列車を選ぶことにしている。まず名古屋の大学へ行くときは、各駅停車の「ひかり」か「こだま」だし、京都から東京へ行くときは、新大阪始発の「のぞみ」だ。(駅の掲示板には発地が表示されないで、JRの窓口においてある時刻表が必要)いずれの場合も、余程のことがない限り必ず自由席にしている。椅子を横並びに占拠して、鞄を置き、パソコンを広げて仕事が出来るほどに空いているからである。この10年間網棚に荷物をあげた記憶はない。
 つまり指定席は、先ずもって不便極まりないのである。指定を取っていることで確実に座れるが、そのかわりビジネスや旅行の足が大いに指定席列車の時間に拘束されるのである。
 例えば、もう少し話をして商談につなげたい、会議後の突然の宴席にも顔をだしたい、もう少しゆっくり景色をみたい、市場をもっと見て歩きたい、時間など気にしたくない、という向きには、指定席は全く出張の効果や旅の魅力をそぎ落としてくれる悪弊である。携帯で、直前まで列車を変更できますというのは、新幹線に限っての話であって、在来線はどうなんだいと言いたくなる。
 鉄道というのは、目的にたどり着くための手段の一つでしかない。そんな手段にすぎない鉄道に、どうして旅本来の目的が拘束されるのか、実に理不尽かつ不愉快である。飛行機のように指定席でないところに、鉄道の旅の良さがあると断言しておく。
 ところで、新幹線で、国民の大量移動日に隣接していて自由席が満席だったらどうするか、と言うときは簡単である。グリーン車に行けばよい。指定席と自由席は椅子の仕様が同じだが、グリーン車は格段に仕様が良いのである。
 つまり空いている列車を選ぶこと、自由席であること、それがなかったらグリーン車に行くこと、これが毎週新幹線を利用している最近の私流スキルである。
 ちなみに今日の画像の舞子はぁーーん姿は、そのへんのお姉ちゃん達のコスプレですから.....。

京都市・二寧坂界隈,2009年12月29日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar T*, f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf8,ISO1250,カラーモードF2.
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京都暮らし195. ルーチンワーク

2010年01月08日 | Kyoto city
 正月が開けると、税金の話がすぐにやってくる。日本の企業の多くが12月決算だから、年が明けると国税などの事業申告の時期が近づいてくる。
 昔の話だが、そういうときに最初に頭に浮かぶのが未整理の領収書である。経理から催促されて、机の中に放置してある領収書をかき集める。整理をさぼっていると、出金伝票付けからはじめなければならない。大小様々な規格の領収書、ズボンの中に入れっぱなしでしくゃしくゃになった領収書を伸ばして、費目毎、月毎に並べ直して、1枚1枚を台紙に貼り付けるという地味な作業が続く場合もあった。
 最悪の場合は、領収書を経理の女子事務員に渡して、「整理しておいて」、である。そうなると経理が、女子事務員をかき集めて整理に追われる。その仕事量は社員人数分だから、とんでもなく膨大で退屈なルーチンワークになる。ピツト糊で固まった指先を眺めながら、「あーっ、毎日こんな仕事ばっかりだったら、早くお嫁に行こう!」。そんな女子事務員のため息を思い出す。
 実は大学の先生も似たようなルーチンワークがある。外部からの研究資金などを獲得したら報告のために、同様のルーチンワークがある。それに企業のように経理部もないし事務員もいないので、ほとんど全ての作業を、自分でしなければならない。そうして数字を拾い帳簿に集め、といった具合に、何日か没頭しているときがある。
 そんなルーチンワークをしていると、企業でもくもくと作業をこなしている地味で忍耐強い経理の人種は、それ自体一つの才能だと思うときがある。
 グータラにすごした正月も七草をすぎると、突然冷ややかな現実がやってきたといつも思わされる頃だ。

京都市・八坂道,2010年1月7日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar T*, f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf11,ISO1000,カラーモードF2.
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京都暮らし194. 厭世的気分

2010年01月07日 | Kyoto city
 ようやく七草粥の頃になった。個人的にお粥は好きだが、世の中は既に普通に仕事をしているので、気にしなくなった習慣である。それよりは、新年会だというわけで、飲み屋の団体予約の方が多そうだ。
 こんな正月気分の文章を書いていると、仕事に熱の入らない暢気な奴らだと思われそうだ。以前は私もそう考えていたのだが、ある時期からそういう仕事熱心な考え方をやめた。多分世界史の本を読んでいたときだったと思う。ああっ、所詮俺たちは平民なんだ。歴史に名前を残すわけでもなく、その時々の権力者らに右往左往させられる、空気のようなものだ。さらに言えば、その権力者でさえ、今の時代では、歴史に名前を残すこともない。だからそんなにガツガツ働いても、その先はたかがしれている。そういう厭世的な気分である。
 そんな気分でいたら、事務から至急アンケートの回答が欲しいというので、回答用紙文書を大学のメールボックスに入れておいた、という旨のメールが届いた。急ぐならば回答用紙をメール添付ファイルにすれば良いのにと思うのだが、今の私の流儀とは異なる仕事熱心なわりには、彼らの頭はトロイ。
 それに私は、今度の月曜日は論文の打合せがあるので、休日とはいえ大学にゆかなければならないので連休ではない。そう考えてゆくと、連休があるから至急回答が欲しいということか!。なんかご都合主義的な世界だ(笑)。

京都市・産寧坂,2009年12月29日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar T*, f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf11,ISO400,カラーモードF2.
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京都暮らし193. 寒!

2010年01月06日 | Kyoto city
 いつも同じ事を書いているが、 去年の京都は、暖冬で雪すら降らなかったが、 今年の京都は本格的に冷え込み始めたようだ。それを肌で実感する毎日である。
 昨日、北の空がどす黒く曇っていた時は、京都府も北部の京北町あたりでは、雪が降っていたことだろう。市内でも左京区は少し気温が冷え込み、しばしば雪が舞っていることがある。
 昔は、東京でもこれ位冷え込んでいた記憶がある。朝学校に行くときに通学路に氷が張っていたという記憶は、だれにでもあるだろう。そういう過去の記憶からすれば、最近はやはり暖冬傾向であることに変わりはないようだ。
 それでも、京都では雪の気配を間近に感じているので、東京と比べれば湿度は高いようである。喉が痛くなるような乾燥状態は比較的少ない。だから、しばしば扁桃腺炎を起こす私の喉の状態からすれば、こちらのほうが良いのだろう。
 この時期京都は、正月の催事が幾つか行われているが、寒くて遠出をする元気もない。家に籠もって静かに仕事をしている時期だろう。幸いなことに今週は、様々な仕事が山積みである。

京都市・鴨川,2009年12月29日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar T*, f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf8,ISO400,カラーモードF2.
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京都暮らし192. 顔を覚えるテンポ

2010年01月05日 | Tokyo city
 東京で生まれ育ったせいか、東京の街の風景にすぐに見慣れてしまう心地よさがある。そして撮影機材を構えると、東京の風景は退屈でつまらないと思うのである。
 そう思っても一千万人以上の住民が、このつまらない街に暮らしている。街はつまらなくても、仕事があり、大量の情報が集散し、そして様々なチャンスに恵まれ、生活に便利だといったスケールメリットというか、人々の活力的要素などが大いにあるところが、東京の魅力なのだろうけど。
 だが東京は、人が多すぎる故なのだろうか、見ず知らずの人の顔を覚えるという資質が放棄したように乏しい。むしろ覚えなくて済む気楽さを享受しているかのようだ。
 京都は、老舗が多いのか、規模が小さいのか、お店に出かけても見知らぬ人の顔をよく覚えている。「ああっ、さっきもきはった方、2度も足はこんでもろてすんませねぇー!」、飲み屋に2~3回も行けば「いつも毎度おおきに、じゃ熱燗ですね!」といった具合に、よくお客の顔や好みを覚えていてくれるお店が多い。そんなお店で領収書を頼むと、何も言わなくても、ちゃんと名前を書いてくれたりもする。
 もちろん何回通っても一向に顔を覚えないアルバイト店員だけのお店、特に観光ガイドに出ているお店が多いのだが、そんな店は京都にもある。そういうところは、次第に足が遠のいてゆく。私の基準だと3回通って顔を覚えないようなお店には、ゆかないことにしている。
 要は京都は、顔を覚えてお馴染みになるテンポが早いのである。そのあたりのフィーリングの違いが東京と京都にはあるということだ。

東京都巣鴨地蔵通り,撮影日2010年1月2日.
GF-1,G f1.7/20mm,×2倍,ASPH.
シャッター1/500,絞りf1.7,ISO100.フィルムモード:ダイナミック.
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京都暮らし191. 京都から東京へ

2010年01月04日 | Tokyo city
 新年の朝、京都の露地に拍子木の音が聞こえると、町内の面々が近所のお稲荷さんに集まり、お屠蘇をいただきながら、正月の挨拶をするしきたりがあった。こうすると一々各戸を挨拶のために回らなくてすむので、毎年続けられている町内の催事である。空気がキリッとしまった大変寒い京都らしい元旦であった。
 昼過ぎに私は、新幹線で東京の上さんの実家に向かった。関ヶ原あたりから新幹線は徐行を始め、周囲は雪の風景であった。二帖のレールが微かに見える程度に雪が積もっていたようだ。シベリアからの寒波が関ヶ原を通り抜け名古屋まで吹雪いたようだった。途中富士山がクッキリと見えていた。
 東京も冷え込んでいた。都心で所用を済ませ、夜に染井墓地の近くにある実家にころがりこんだ。ひとしきりおせち料理をいただきながら、程なく寝てしまったようだ。
 翌朝二日は、1920年に開始された箱根駅伝往路のテレビ中継があった。紺碧の湘南海岸を走りすぎ箱根の山を越えて芦ノ湖にゆくコースの風景が大変面白く、毎年往路だけを朝飯を食べながら歓談しつつ見ている。今年は、箱根の山越えの区間で東洋大学の6人ごぼう抜きなんてのがあったので、最後まで見てしまった。東京から箱根まで走り続け、そして疲れた体を箱根の温泉でいやしながら新年の宴会をしたほうが楽しいだろうと私は考えているから、翌日の東京行きの復路はいらないんじゃないかといつも思う。
 こんなことを考えるのも、我が母校筑波大学(旧東京高等師範学校)は、箱根駅伝の創始者金栗四三の呼びかけに応じて、早稲田や慶応らと共に第一回から参加してきた老舗大学であるからだ。でっ最近はというと、いつも予選落ちしているので、時折学連選抜で母校選手が登場する程度に留まっている。これは大変悲しい。
 駅伝が終わり、近所の喫茶店にカレーと珈琲をいただきにゆき、お寺さんへ墓詣りにでかけ、多くの人で賑わう巣鴨のとげ抜き地蔵で初詣を行い、帰りしなに染井温泉でようやく二日ぶりに髭を剃った。東京も1,800m程掘ると温泉が湧くということだ。泉質は、塩分が多いので外傷には良いのだろう。
 そんなこんなであっという間に夕方となり、DVDでレッドクリフpart1を見ていたら、正月二日目の夜は過ぎていった。久しぶりに個人的にグータラな充実感を味わっていた。

新幹線車中から関ヶ原,撮影日2010年1月1日.
GF-1,G f1.7/20mm,×2倍,ASPH.
シャッター1/2000,絞りf2.5,ISO100.フィルムモード:ダイナミック.

2010年1月4日月曜日


 
 
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新年あけましておめでとう

2010年01月01日 | Kyoto city
 市内のお寺さんから、除夜の鐘の音が聞こえてきた。風花が舞う寒い最中、私も近所のお寺さんに出かけて、鐘をつかせてもらった。初詣である。冷え込みも一段と厳しくなってきた。静かに夜がふけてゆくようだ。
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