[教育三法改正案]国会に

これは、今朝の朝日新聞1面トップの見出しである。
 
 「改正案」と言うのだから、見なくても中身がいいに決まっている。
メディアが従来良く使ってきた、語感で読者を肯定的に刷り込む世論操作の常套手段。全てのことが改正と言う名の連続の結果、今日に至ったのではないか。法を変えるとき「改悪」なんて自ら言う人はいない。メディアはそのことを知ってのことか。

 以前、再生会議の委員の構成や7つの提案については概括的に教育の原理に反すると述べてきた。ここでは法案化する中の1例だけ取り上げて見たい。
 
 学校への、外部の評価・監査機関の設置についてである。一般的には外部からの評価は公正で意味があると考えられる。しかし、現場では戦前戦後、現在も権力を持った機関は全てだとはとは言わないが、殆どが現場へ入るときは支援ではなく教育的には不当な介入だった。
 ここで言う不当かどうかの基準はもちろん子どもにとっての教育上の是非である。教育は子どもの心や人格を育てる営みである。(これは基本法1条。)
 外部機関が、登校してくる子どもの心が分からなくて評価できるだろうか?の問題である。
 心どころか、顔も名前も知らず家庭環境もその子の性格や能力も知らない人たちがどうして評価し判断できるだろうか。
 
 従来の失敗の原因もそこにあった。家庭に置き換えて考えると分りやすい。各家庭のやり方や親子関係を外部から、簡単に口出しできるものではない。(勿論必要な場合もある)
 親が陰になり日向になって子どもを育てる。だから親子の気綱は強く、それを力に子どもは育つ。「教え子」と言うように、(親のようにはなれないが、)子どもと教師には親子と似たものがある。信頼関係の中身は、他言できない。ある意味で、プライベートなものがある。
 例えば、集金である子どもが持ってこなかった時、その事情はいろいろある。担任はその事情をどうして、外部に話せるか。勿論話せる場合もあるが、子どもや家庭との関係で話せない場合も多々あるのが現実。法的にだけ考えても、守秘義務もある。子どもとの信頼関係は、法的以上に測れないものが多い。学習や行動面でも、宿題一つ忘れてきても、背景に人に言えないような原因があるのは、むしろ普通である。
 にも関わらず、そこに、権力を持った外部機関が踏み込み外形的に判断し評価する。勿論不可能とは思わないが、良かった例は評価や監査と言う権力機関ではかつて殆ど見たことがない。
 
 私自身、そんな経験はいくつもしてきた。例えば、対人恐怖で私以外の他人とは一切話せない子どもを受け持ったことがあった。指導機関から指導に来て、観察のため教室に入ってくるや、その子はその観察する人のの顔を見て、教室から飛び出して行った。その子は、奇異な目で見られ、そこにいられなかった。放課後、私はその人に、非難され、命令的に一方的に指導された。この場合など、その人の観察そのものが、教育的かどうかが問われている。私がその指導に従ったら、100パーセントと言っていいほど,その子は学校にこれなくなっていたと思う。その子を守るために教師の進退が問われる。

そんな話はどの学校現場にも、言い尽くせないほど、書きつくせないほど、山ほどある。


  一方良かったのは権力を持たない父母や友人、研究者など、権力を持たない人たちの意見や感想は力になり助けられることが多かった。
 
 昨今、家庭の中にも土足で入り込む風潮とあわせて、この無神経さは『どうしたことか?』と呆れる。
 新聞であのように報道すると、それは「いいことだ。」と受け止め、「やがて良くなるだろう」とか、「あまり関係ない」と、思う人が多いだろう。ことがらはそんな暢気な話ではない。今日明日ではないが、嫌が応なく、「わが子、わが家庭」に遠からず関わってくるはず。
 
 大人の学力(判断力)がこんなレベルで国や機関、メディアから、そして攪拌された巷のおしゃべりの中でさえ、問われている。そのこと自身、大変で悲しいことだと思う。

こう言うときにこそ学者や専門家、「先生」と言われる人たちがいると思ってきたが、その多くの人たちも既に、「わが子より自分」と価値観がひっくりかっているようだ。

今出ている教育政策を並べられたのを見て、または論議の様子を垣間見て、どれ一つも子どもを中心とした視点が全くと言っていいほどすっぽり抜けている。子どもの抜けた教育論議の結果の政策だ。

今までそうであったように、そんな政策は、さらに子どもを困難に追い込むだけ。現在の結果を見れば分ること。

 

いじめや自殺でわいわい言っているが、実際、現場はそれどころではない。

全国に不登校の小中学生が12万人からおり、高校中退者が年間10万人、養護学校や障害児学級は対応できないような異常な増え方をしている。文科省の今後の予測は現在の2~3倍。誰でも必ず近所には該当者がいるはず。数字的に見ると、今後は2~3倍以上はみじかになるはず。予備軍も含めると影響されない子どもはいないはず。

原因は100パーセントとまでは言わなくても、ほとんど人為。
このような社会現象を自然現象のごとく結果だけ見て、対応する今回のような教育政策で悪くなっても良くなることは考えられない。

 何故教育論議が、子どもを中心になされず、権力中心になるのか。するのか。

誰でもが子供の時代はあったし、多くの大人は子どもを持っている。この異常さを想像するのは、知識や経験もさほど必要ない。政治的な立場もあまり関係ない。
 いい親は普通のことを普通にやるだけ。
 
 政争の具にすること事態、おかしくないか?

 

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