法律の限界

教育基本法は前国会で改変され、今国会では教育3法案が準備され、夏の参院選では憲法の改変?が争点になるらしい。

 法治国家で国権の最高機関が立法府だから国のことを考えると当然と言えば当然である。
 ところでこれらの法律は万能なのだろうか?
 法律も自然の法を超えられないことは以前このブログで書いた。
 ここでは人が生きるときの細かな営みも法律は及ばないことを書きたい。生まれたての赤ちゃんへのおっぱいのやり方の法律があったら大変な結果になる。
 
人が生活する時、法律ではどうにもならない、法律を作ってはいけないもの意外にに多い。
 法律は法と人の自立的な営みの間にあるだろう。その中間的な法律もさらに多くの限界をもつ。
 パチンコをして、お金に換えるのは違法だが、実際は日本中どこでも、「景品交換所」によって合法的に換金出来る。売春禁止法があっても、全国どこにもそのお店はある。合法的に売春されているのを知らない人はいない。
 法は組み組み合わせると、法の名によって破ることが出来る。にもかかわらず世は法作りが盛ん。法は正義、法治国家、を建前にして出来ているが実際はそれとかけ離れたものが多い。法律はどんな目的にも道具(ツール)として使われる。この仕掛けとしては手品や、詐欺も似ている。
 国民も為政者も法律の限界を知るべきで、法に過剰に期待したり、やたらに法を作るのは慎しんだほうがいい。
 自分の理性や感性のある構想が問われている。

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