世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
学校と言うところ②「校内研究」
日本中どの学校も、教師の指導力を高めるため、校内研修(校内研究)を実施している。研究時間は毎月一回(約2時間)を確保し、教育委員会の指導主事や他校のの校長などを講師に呼んで指導を受けることが多い。最終的には冊子にまとめ、授業研究を含んだ研究会で近隣の学校に呼びかけ発表する。
私が勤務した埼玉県と東京の10校で経験した学校の「校内研究」で私の感じていたことを書きたい。
①テーマを含め、文科省の方針の枠内にほぼ限定される。東京でゆういつ面白かったテーマは「学級を中心とした子供の文化活動と、規律の内面化・実践化」だった。テーマの前半は児童中心の発想、後半は文科省の方針。お上に気を使い、妥協して、区教委の了解を得た。
②殆どの学校では研究会の体裁は細かく気を配るが、内容的には乏しかったり、不適当であっても、指摘しあわない。
③研究の委嘱を受けた場合、しばしば学校や学級が荒れることが多い。研究主任の多くは、管理職の取り巻きで、指導技術や同僚の信頼に (? )が意外に多かった。
④研究発表会では教委や他校の管理職からはお決まりのお褒めの言葉が並ぶが、動員され参加したた一般教師は、(お互い内実をよく承知しているので)本気に研究内容を問うことは殆どいない。
④最近の傾向として、教育技術として、問題外のようなものまで、(時には学校長の指示で)研究発表されても、校内の先生方も、研究会の参加者や、指導の講師、や来賓放たらかしにしていることが良くある。
⑤指導に来た指導主事や講師が研究会の最後の公表をするのが定番だが、その話が 教育技術として問題を持っていることも珍しくない。特に指導技術は子供の能力でや性格を見て選択しなければならないことが多いが、それと全く関係なく、上部の指導の方針で画一的に指導することがことが多い。
要するに、殆どの学校は、上(文科省も含め)から下まで、「御役所」的で、本気さは、全く感じなかった。
補足すると、私は東京都の障害児教育の研究員も1年間やったが、校内研の印象と全く同じで、上の方針をどう実践するかだけが問われ、教育の対象であるこどもの実態から指導の計画が立てられ、実践されるものだが、上の方針や計画に子供を合わせるを使い、子供は途中の登場者の感じだった。
子供中心の研究ではなく、行政中心(権力中心)の研究だった。 科学性がなくつまらないことが多かった。