コマーシャル

 
  番組をさえぎって次々コマーシャルが流される。
  この不快を味わって何年になりるだろう? 近頃は、コマーシャルからコマーシャルへと
  立て続けに変わったりして不快が増しているようだ。
  民放の経営ははコマーシャルで成り立っているから諦めてはいるものの、その影響力は 
  計り知れない。
  「テレビを見なければいい」との理屈もあるが情報を完全に絶った社会生活はあり得ない。
  突然割り込むコマーシャルの影響は(不快)だけだろうか?
   情報と思考の分断が社会や個人の心身へ良い影響を与えているとは考えにくい。
   系統だって物事考え、集中する力を萎えさせるのではないか。特に子供への影響が心配。
  しかしそれが当たり前になっている今日、意味をぶち壊すような言動や状況が蔓延しているようだ。
  新聞に挟まれる大量の広告、電車も通りも広告と看板だらけ。
 それどころか、政治や経済、そして報道そのものがコマーシャル(商業宣伝)的になってきていないだろうか?
 コマーシャルは売ることに最大の意味がある。
 コマーシャル的な政策が今日の社会の行き詰まりをもたらす一因になってはいないか?
 
 
  
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