建前と実体の乖離

投票日が近づくとマスコミは連日選挙管理委員会以上に投票を呼びかけた。

21日当日の東京新聞の(本音のコラム)では北大教授の山口二郎が 伊丹万作の著書(戦争責任者の問題)から「…敗戦直後に一般国民は軍部に騙されたという言い訳は通用しない…造作なく騙されるほど批判力を失い、信念を失い家畜的な盲従に自己の一切を委ねるようになっていた国民全体の無反省、無責任などが悪の本体なのである。」の1文を引用して民主政治下での投票を呼び掛けていた。

山口氏の真意はくみ取れるし、議会制民主主義における選挙の意味も十分理解しているつもりではいる。

しかし、選挙に関わる情報もマスコミが一手に担い、マスコミ情報無しには社会生活事体困難な国民がそれを越えて

判断することが出来るとは考えにくい。  にも拘らず伝えられるマスコミ情報は事実に即し公正な情報を提供していると、過去の事例や経験を通して同意できるだろうか?

戦後の政治もほとんどマスコミの誘導によってして今日に至っている。

原発神話だけでなく返済不能とまで言われる借金、そもそも、今回の選挙の最大の争点と化した「アベノミクスによる経済浮揚」の論拠は経済的な根拠になり得るか。

1か月以上も前にマスコミの情報の流し方を見て選挙結果ほぼ予測出来るような選挙に参加しないことがどうして無責任で家畜同然なのか?

  今回の選挙には犯罪的な意味すら感じる。

 

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  歴史的意味をもつ選挙に

   
  (飛躍と乱暴を承知の上で敢えて端的に表現するなら)


「行き詰まった経済の中にあって、アベノミクスで経済が上向き始めさらに実感あるものにするには衆参のねじれを解消することがこの選挙に問われてる。」

これは与党の街頭演説の要旨のようだが、多少の力点の違いはあるものの巨大マスコミや企業組織の多くが作り上げた選挙選の中心争点に仕上げた情報である。

結果は見るまでも無く、自民、公明、右からの応援団である維新、みんなを合わせねじれは楽々解消し、選挙は多少の誤差は出るものの政府の思惑通りの楽勝に終わるに違いない。

今朝の新聞1面のトップの見出しは社によって多少の違いはあるものの、選挙の意味を説き、投票を呼びかけたものだが、これだけ完全にレールが引かれた後の投票はアリバイ工作的で政府与党の政策を民意の形で追認し、今後政権運営に白紙委任すすることを意味する。

ある1紙は(憲法・原発・TPP)を争点として集約しているが、社の良心を感じなくはないが、これまで積み上げてきたマスコミ情報の山は 事実と真逆の評価をベースにし、必要な情報を閉ざし歪めたりしたものがほとんどだ。

選挙後の日本における実態の変化がこの選挙戦でマスコミが流し続けた情報が真逆だったことを明らかにするだろうと確信している。

危険な経験だが、歴史的には犠牲的な授業料として多いなる意味をもつだろうと肯定的に受け入れるしかない。

ここに来て、ユーチューブで真正面からマスコミを全うに批判する若い候補者を見つけた。その人に投票するか、それとも私なりに追認に手を貸さず白紙投票にするか、今迷っている。

 

 

 

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アリさんの単独行動

アリさんは列を作って歩くものだと思っていたら、先日、何をしてるのか石垣や庭の木を昇っているのを何匹か見た。アリさんも何か事情がかわってきたのかなー?

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