世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
現実的でない安全保障の論議
世界が戦国の世か富国強兵策を引きずっている中で、日本が軍備や集団安全保障の議論が吹き出ているのはある意味で自然かもしれない。
それが周辺国の若干の動きや憲法との関係で論じられるところに不毛を感じる。
世界が富国強兵策を引きずり、日本が憲法で平和主義を掲げた経過の正当性も確かだが、もっと現実的な地球規模の経済や自然環境の変化を抜きにしてどうして安全保障になるか?
目隠しされた民主主義と、今問われてる事
超インフレで知られるジンバブエについて少し情報を集める中で、世界の植民地支配が進行しているとは思わないが、関係や仕組みが合法的に残していることを改めて確認した。
世界の武力衝突や貧困の原因も無関係ではない筈だが、学校教育でもマスコミもそれには全く触れない。
これで世界の現状や己の立ち位置を理解できるだろうか?
目隠しされたまま主権を行使する民主主義が世界の現状か?
世界も日本も装いは変わっても内実は戦国の世か富国強兵策を引きずっているかのようだが、それを良しとするか否かが、今世界の全ての国々が問われてる。
グローバルな環境の変化を抜きに旧態依然の国家論を前提にした議論は小学生でもやらないぐらいだろう。 らちが明く筈がない。
普通にカン違いとカン違いが重なる時代
自由や民主主義を大義にする世界にあって
表向きが内実を隠すのを(偽装)と呼び、見せかけと実体が異なるのを(擬態)と言うなら、現在は【偽装・擬態社会】かもしれない。
社会認識の多くをメディア、とりわけ産業化されたマスコミ情報に依拠している中にあっては、マスコミが発した情報が起因していると言えそう。
時代の転換期におけ言語と実態の不一致は 時代の変化に人や社会がついて行けないでいることを意味し、個人は普通にカン違いしそう。
社会も個人もカン違いとカン違いが重なった時が大変だ。自分はそのド真ん中にいる。